障がいを持つ人たちとのつきあいは長い。 最初は、こどもだった。 大学卒業後2年目には、就学前のこどもたち、その次の年には、大阪の枚方市の小学校で普通学校の中で健常のこどもたちと一緒に学ぶ障がいを持つこどもたち。 今から30年以上も前の話だけど、その当時の枚方市では、統合教育が主流で、全盲のこどもも、動きの激しい今で言う発達障がいのこどもたちもみんな普通学級にいた。軽い知的障がいのこどももいたなあ。 そこで学んだことは大きかった。 クラスの障がいを持たないこどもたちが、
残りの人生を考えたとき、本当にやりたいことは何だろう? それを問い続けています。 抑圧された人たちに寄り添いたいという気持ちは、どこからきている? 学生の頃の教育実習で、クラスに溶け込めなくて、ひとりポツンとしていた中学生の女の子が気になって、2週間、彼女とつながって、実習の最後の日に住所が書かれた手紙をもらって、それから年賀状の交流が10年以上続いていた。 なぜ、私は彼女に惹かれたのかな? なぜ、彼女は、私とつながりたかったのだろう? お互いに同じにおいを感じたの
今考えていることを、自分のためにも、つぶやいていこうと思います。 現在68歳、これからの残りの人生を意識した時に、本当にやりたいことをやりたいと言う強い思いが出てきている。 でもそれが何なのか、何のためにやりたいのか、人生の目的、この世の使命は何なのか、自分に問いかけているところ。 頭で考えているのは、抑圧されている人たち、生きづらさを抱えている人たち、そんな人たちに寄り添って、生きる喜びを感じてもらいたい、そんな人たちが安心できる居場所を作りたい、と言うこと。 でも