『はじまりのとき』セルフライナーノーツVol.2 「はじまりのとき」
さてお次は二曲目。アルバムタイトルでもある「はじまりのとき」についてのおはなしです。
普段の暮らしにおいて様々な場面で社会人として担う役割。それに相応しい言動を暗黙のうちに求められ、なかなか自由で無邪気に生きるわけには行かないものだ。だからせめてうたうときや、五線譜という真っ白なキャンパスの前では、何の制約も受けず自由でありたいと思っている。心模様をスケッチするように、どこまでも上機嫌に、どこまでも悲しげに。時にカラフルに、モノクロに。自由であればあるほどよいのだ。
休日の朝の微睡の中や、寝付けない真夜中、ぼーっと歩いている時など、ふと頭の中を流れるメロディーたち。そのほとんどは私自身を楽しませるだけのもので、他の誰に届くこともなく消えていくのだが、まれに気が向くとゴソゴソ五線譜に走り書きすることがある。「はじまりのとき」のメロディーも、そんなラフスケッチのようなフレーズの断片として五線譜に書き留め、長い間寝かせて熟成しておいたものの一つだ。
(註1.アンサリーバンドで頻用されるワードの一つに“熟成”がある。そろそろ疲労のためリハーサルを終えたいときなどに「あとは熟成で」というように使用する)。
ローズピアノによるイントロの波のような揺蕩うフレーズは(実際譜面で見ると音符が波を描いている)、4度の音を含んだ和音(add4)と相まって、容易に平衡点に着地せず不安定なままに揺れている。このイントロのメロディーの揺蕩いをベースに、心模様の移ろいのままにメロディーが次の帰着点を探してメロディーの次なる展開を誘い込んでいく。
仏師であった亡き義父が、木の塊の中に掘られるべき像が眠っており、それを自身は発掘するような心持ちで彫刻していると仰った言葉が胸に刻まれているが、一つのテーマが次のメロディーを自然に誘うように起承転結していくという曲作りのイメージともどこか共通点があると感じていた(註2.)。メロディーパターンの変化により曲が構成されていくさまは、織りの各パターンが重なることで模様が形造られ、最後には一曲のタペストリーとなっていくようでもある。
(註2.このことにインスパイアされた曲が、2017年発表のオリジナルアルバム『Bon Temps』収録の「形なき姿」という曲である)
一日の「はじまりのとき」である日の出や日没どきは、光が淡く輝き、見慣れた空や景色がいつもより美しく見える時間帯だ。今回のジャケット写真は、そんな光の美しいマジックアワーに撮影しているのだが、特に光の具合の美しい数十分間を逃すまいと撮影するため、おのずと緊張感のある撮影であった。
これから朝へ、または夜へと向かっていく端境の時。人が生まれる瞬間と、生を終える瞬間。若さから老いへの移ろい。国と国とボーダーライン。時代と時代の間。人と人の心の・・・。そんな端境にあるものにはいつも何か心を揺さぶられるものがある。幼いころからいつも私自身どこか非所属感を持っているためであろうか。そんな揺蕩うような心模様をヤマカミヒトミさんのフルート多重奏(リモート録音)が素敵に演出してくれている。
美しくも危うさを孕むもの、明るさの中にある影。大きなビルの間に咲く野花のような、そんな隨(まにま)にある心惹かれるものたちを、タベストリーとして織り込みできあがった曲が「はじまりのとき」なのである。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
アルバム「はじまりのとき」、するめのように何度も味わってくださいね。
それでは、次の曲のお話までお楽しみにお待ちください(がんばります♪)
さよなら、さよなら、さよなら〜
『はじまりのとき』
#02「はじまりのとき」
アン・サリー : Vocal
山上一美 : Flute(Remote Rec. From Tokyo)
小林創 : Rhodes & Piano
新井健太郎 : Bass
蓑宮俊介: Drums
関口哲也 : Co-written Lyrics
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