廃墟と私
お久しぶりです。
本日はようやく廃墟マニアだった頃の話をしようと思います。
私のことをこの記事が初めての方はぜひこちらの記事を読んでいただきたいのですが、私は写真をやっております。
写真を始めたきっかけは実は中学生の頃の肝試しなんです。
肝試しがきっかけで廃墟探索どっぷりハマり、現在の写真論へと変遷がある訳ですが、最後には繋がるので、まあ見ていってください。
今日は肝試し時代から現在に至るまでの廃墟との関わりを自己紹介がてら書きたいと思います。
廃墟マニアになった経緯
小学生の頃からオカルトやホラーが大好きでした。
小学生の頃に『仄暗い水の底から』で恐怖の衝撃を受け、ジャパニーズホラーの代表作『リング』『らせん』『ループ』の鈴木光司のリング三部作を読破し、夏のホラー特番は必ず始まる前にお風呂とトイレを済ませてテレビに齧り付くほど好きでした。
中学生になると、大阪の私立に進学し、実家が京都であったため、電車通学を始めました。毎日京都から大阪まで電車で通うという経験は、私の行動範囲を大きく広げる訳です。
当時、ラグビー部に所属しており、幸いにも同じようにホラーに興味がある友人が多かったもので、中学2年生の頃に友人と廃墟や心霊スポットに肝試しに行き始めました。
初めて行った場所は今でもよく覚えています。
京都市と亀岡市の間、老ノ坂峠にあるモーテル跡と、その奥にある首塚大明神でした。
ホラー好きと言っても廃墟や心霊スポットはあくまで画面の向こう側の世界だったので、実際に自分が行くとなると少し怖気付いたのを覚えています。
しかしながら、そこから私は廃墟にどっぷりとハマっていく訳です。
あくまで肝試しをしたくて廃墟に行っていたのが、徐々に廃墟自体に惹かれるようになっていくのです。
廃墟ブログ時代
当時、SNSの中心はFacebookかTwitterでした。instagramもありましたが、廃墟マニア同士の交流はTwitterがメインだったと思います。
廃墟にハマっていく中でTwitterでの廃墟マニアとの繋がりは非常に大きな要因でした。当時私は中学生。お金もなく、スマホのカメラ機能で廃墟写真を撮っていましたが、Twitterでは一眼レフで撮影された綺麗な廃墟写真が多数あった訳です。
それを目にして、私も写真に興味を持ち始めて、高校生の頃に初めてミラーレス一眼を買うのでした。
そんなこんなでSNSで活動をしていく中で、私にはもう一つのプラットフォームがありました。ブログです。
2024年現在はブログ文化はかなり衰退していますが、当時は全盛期。
かくいう私も廃墟ブログを運営し、SNSでの活動もあり、読者数が徐々に増えてゆきました。
夏になると心霊番組が必ず放送されますが、その日は決まってアクセス数が伸びるんです。面白いですよね。
そうしているうちに、ブログのアクセス数は多い時で月間数万件規模になっていき、それと同時にInstagramが興隆していきます。
私には写真のテクニック(今思うと下らないと思うが)があったようで、Instagramのフォロワーがみるみる増え、7000人を超えていました。私が写真を投稿した瞬間に「いいね」がつく。調子に乗った私は、本来の目的を忘れてしまうのでした。
いつしか、「誰よりもいい写真を撮りたい」「誰も入ったことがない廃墟に誰よりも早く行きたい」…そして、「いいねが欲しい」
肝試しから廃墟に魅入られて、ただ廃墟が好きで訪れていたはずが、いつしか他人から評価してもらうために、いいねが欲しくて廃墟に行って写真を撮り出すようになるのです。写真は勝負の世界ではないのに。
摩耶観光ホテル
そんな私には大好きな廃墟がありました。
神戸にある「摩耶観光ホテル」
私が廃墟探索を始めて初期に訪れた廃墟であり、廃墟にのめり込むきっかけになった廃墟です。
初めて中に入った時は息を飲みました。
自分の知らない世界がそこに広がっていて、広いホテルの内部には私が生まれる前の新聞や、電化製品、空き瓶などが転がっていました。
そして、普通に生きていたら縁もゆかりもなかったであろう場所に今いる。それにすごく惹かれるものがありました。
それから毎月のように京都から神戸を往復し、計30回は訪れました。
そこは内向的な性格だった私を受け入れてくれるような、そんな気がしたんです。
失恋した時や、将来に対して悩んだ時、あるいは嬉しいことがあった時。そして春夏秋冬全ての季節、足を運び写真を撮らずにぼーっと過ごすだけで帰るそんな時もありました。
決して明るいとは言えない青春時代を共に過ごしてきた場所でした。
ある時、ふと思ったのです。
「なんで俺は廃墟の写真を撮ってるんだろう」
ホラーが好きで始めた肝試し。そこから自分の知らない世界があり、自然に還ってゆく廃墟に魅了されて写真を始めた。なのに気がつくと「いいね」が欲しくなっていた。自分が好きであればなんだっていいのに、周りからの評価に囚われてしまっていた。
「ああ、廃墟に行くのをやめよう」
そう思ったのです。
そして、その日も摩耶観光ホテルに訪れて、「軍艦島に行って廃墟を卒業しよう」と決めたのです。
廃墟旅の終着点
日本の廃墟といえば軍艦島です。おそらく廃墟に興味がない方でもご存知ではないでしょうか。
しかし、長崎の軍艦島は遠く、なかなか行けずに大学生になっていました。
しかし、大学1年生の夏休み、軍艦島関係者の方から「今度軍艦島行くけど一緒に行く?」と連絡が来たのです。
すぐに返事をして、青春18切符を買って長崎に行きました。
京都から長崎は非常に遠く、しかしながら、ワクワクであっという間だったようにも思います。1日では長崎へは到着できず、佐賀のビジネスホテルで一泊したのを覚えています。
「ついに軍艦島に行ける。そして廃墟旅も終わってしまう」
なんとも言い難い感情になりました。
そして翌日の早朝、港に集合し、フェリーで軍艦島へ。
立ち入り禁止エリアも案内いただき、無我夢中でシャッターを切りました。
軍艦島の写真は以下のYouTubeでも公開しています。よければご覧ください(チャンネル登録お願いします♡)。
そして約2時間、軍艦島を案内いただき、この2時間という刹那の時間で私の廃墟旅は終わりを迎えました。
廃墟が好きだ!
月日は流れて、廃墟探索を始めてから10年以上が経過しました。
廃墟をやめてからはスナップ写真やポートレート撮影をするようになりました。その中で、大学での卒業論文で「写真を撮る理由」を裏テーマに設定して、写真との向き合い方にも決着をつけました。
最近、人生の転機があり、過去に撮影した廃墟写真を眺めていました。
多くの写真は、私の救いようのない下心による写真ではありましたが、なぜだか急に懐かしいような、悲しいような、嬉しいような、そんな不思議な感覚に襲われました。
「結局、廃墟が大好きだったな」と。
そして、それらの写真に映る廃墟たちが悉く解体され現存しないことを思うと、いい写真であると思ったのです。
99%はいいねが欲しい私の下心による表現でしたが、1%は純粋に廃墟が好きで、記録したいという思いから撮影された廃墟の表現であると。
その時、私はもう一度廃墟に行こうと思ったのです。
廃墟とは人から捨てられた建物です。捨てられた上に、その存在すらなくなってしまうものなんです。
そうして解体される前に、人の記憶から消えてしまう前に、そして今まで廃墟を利用して承認欲求を満たしてきた懺悔も込めて、私は廃墟を撮ろうと思います。
これから私は、今まで廃墟にしてやれなかった、廃墟の存在を記録して後世に語り継ぐことをしていこうと思います。
結局、廃墟が好きだから辞められないんです。
これからは純粋な気持ちで、廃墟を記録したい。消えてしまう前に存在を証明したい、そう思っています。
廃墟とはいえ、かつては人の営みがあった場所です。当時の残留物と一緒に、人の思いや営みの痕跡も廃墟には残されています。
そんな写真を記録していく、という決意を持って。
金銭的な事情もありますから、コンスタンスには活動できないかと思いますが、ぜひ私の活動を応援いただけますと幸いです。
【YouTube(なかむフィルム)】
廃墟やいずれ見れなくなってしまう風景を記録したり、ポートレートを撮影する企画をメインでアップしています。
【Instagram】
廃墟、そのほか現在撮影しているスナップ写真やポートレートをアップしています。普段撮影している写真はこちらをご覧ください。
では、いつか廃墟でお会いしましょう。
中村正行