ダイヤモンドのような空を見たくなって出かけたんだ。外出するのはおそらくは三週間ぶりで、愛する人のことなんて少しも思い浮かばなかった。僕が愛していたのは若白髪が目立つ茶色がかった髪をした彼女で、彼女の虹彩はいつも哀しく澄んでいた。僕はコンタクトを外すため眼球に触れるたびに、彼女の虹彩のうつくしさを思った。それでもそのときは、彼女のことなんて少しも思い浮かばず、ただどこまでも透明な空に、胸いっぱいの蒼穹に抱きとめられて、最後の息をダイヤモンドのような空に呼吸したいという思いのみ
黒猫を飼い始めた。不本意な出来事ではあったが。夏も終わりの階段教室の外には、松の木がその曲がった節を秋の匂いを漂わせ始めた微風にさらけ出しており、それを夏の名残の日の光が強烈に照らし出していた。私は解き終わったタンパク質同定の問題用紙の裏に、激しい憎しみを込めてシャープペンシルでガリガリと落書きをした。私はもっと高尚で、うつくしく、芸術的な小説を書けるはずであったのに、そこにできあがり——今では黒く塗りつぶされた——のは、愚にもつかないセンチメンタルだった。そして、何か薄暗
犠牲者であることを運命づけられていたと言っては言が過ぎるかもしれないが、少なくとも幼い頃の私は、暴力に怯えた力のない子供ではあった。写真を見返すと、しかしどの写真の私も、今よりもむしろ快活で屈託のない表情を浮かべている。これは何も不思議なことではない。暴力の最中に写真は撮られないというだけのことであって、抹殺された暴力の記録を思うと、私は今でも妙な感動を覚えずにはいられない。 あるいは、犠牲者の面持ちというものは、犠牲の自覚とともに生じてくるのかもしれない。幼い頃の私は犠牲
一見奇抜で、斬新、時代を反映しようとする試みに失敗し、既存の詩に対する感受性を失ってしまった読者の萎びた感受性を再び呼び覚ますために書かれた詩、それが現代詩である。 そもそも新しい詩というのは新しい方法論でしかありえない。新しいことそれ自体に意味を見出すのは、人間の悪癖である忌むべき進歩主義の成れの果てであって、仮に芸術としての極地があるとして、そこに近づくための無数にある方法論を一つ明らかにしてみたところで、それに特段価値がないのは明白である。にも関わらず何か進歩主義的な
すごい小説を読んでしまった。私はほとんど泣きそうだった。一つには私自身がいつ治るのかわからない病気を抱えているからで、外部から、そして正常ということから、縁遠くなっていた。長らく病気を患っていると、奇妙な平衡状態と呼べるものに到達するというのは、一定の理解を得られることだと思う。正常ならば正常の範囲内で起こる日常の変動が、正常の範囲から外れたところで起こるようになるのだ。 私は適応障害を患っている。かれこれ3年以上、薬を変え、環境を変え、どうにか正常に戻ろうとしてきたはずな
何々という言葉を使わないようにしているなどというのは何ら高尚な性格を表すものではない。当人のボキャブラリーの貧困を言表しているに過ぎない。若者言葉も、近年の誤用も、流行語も、自分の語彙としてこそ世界は豊かになるのである。例えば、「ヤバい」はさまざまな場面で使える言葉であるが、なぜかそれが豊富な表現に取って代わって使われる、表現の貧しさとして槍玉に挙げられる。しかし、明らかに「ヤバい」は「ヤバい」にしかない軽妙さを持っており、危ない、最高、などとは異なる響きを持っている。 私
一 あなたが信じられないほどの感傷が 一輪のカサブランカの白き気高き威容に 込められているのだということを 私はあなたに知らせずにおく このカサブランカは 或る少女の溺死体が 白骨のように白い砂浜に漂着すると 恋に破れた緑色の少女のからだに残された 痛苦の思い出を吸い上げて 新月の夜に発生したという ファンタジーを持っているのだが 都立家政の商店街で まるで生きることの罪を背負っているかのように瑞々しい 一輪のカサブランカを花瓶から抜き取ったのだ あなたはそれをまるで知らず
人間が最初に発した言葉は祈りの延長線上にあった。それまで痛み、空腹、怒りなどの生理的な刺激、すなわち内なる世界に対して上げていた叫びが、ある日自分の外部世界へ向けられて、初めて祈りへと、そして言葉へとなったのである。私は人が祈っているのを見るのが好きだ。受験に合格しますように。早くコロナが収まりますように。今日の夕ご飯はカレーではありませんように。そこに原初の言葉にはあった世界への意志を感じるからである。 月末に文学フリマ東京の原稿の締め切りを2つ抱えていることもあって、私
演劇というものに触れるのは修学旅行で観た『レミゼラブル』以来であった。なぜ最初にこのようなことを書くのかと言えば、私は演劇についてはその他の大抵のことと同じように門外漢であって、あくまでも純主観的に演劇を鑑賞する他なかったことをはっきりと申し上げておくためであり、実際私はそのようにして『邪教』と向き合ったのである。 早稲田駅近くの イズモギャラリーで『邪教』は演じられた。客席は20席くらい、ちょっとびっくりするくらいこじんまりとした空間であった。客席と地続きのステージには私
一面の白濁とした空には、布地のように、薄い陰影が波打っていた。青ざめたような、力ない光を受けて、コンクリート造りの図書館のなかを歩き回る人の姿が、いかにもたよりない、かりそめのものに思われた。ガラス越しに直進してくる白色灯の閃光が、じっとりとよどみ、地上に垂れ込める空気に、痛々しい裂け目を開いた。図書館は、光の数を増してゆきながら、開館を待ち受けていた。緩慢な休日の朝であった。私は図書館の表にまわり、閉館、の文字が見られる錆び付いた立て看板を見上げると、玄関の奥に見える、大
夏めいた白い雲が、空の高いところに湧き、風が強いのだろう、千切れては帆船のように蒼穹をかき分けて進んでいった。雲の後ろから飛行機雲が現れると、しばらく雲を背にして直線上の軌跡を描き、再び雲の向こうへ消えた。雲が帆船ならば、あの飛行機は、さしずめ波間を駆ける飛魚といったところか。千切れて薄くなった白雲の奥で、飛行機雲だけが、青空に去来した動乱の名残をとどめている。平穏そのものといった光景ではあったが、どこへ行くでもなく漠とした青へ進水しゆく白雲をながめていると、幾分静心ない心
——テルビウムはその本質的な不可逆性によりf電子を核内に添加した反静電的相互作用に基づいてランタノイド元素を収縮させる傾向があり、六方最密充填構造を取りながら原子価は三、もしくは四あるいは3.14の値を取る一方、経験的には褐色の少女の戸惑いと共にうすい硝酸に溶けることが知られているのは、長年研究者の頭を悩ませてきた問題であったが、一九八四年村井幸太郎らのグループによって明らかにされたことには、褐色の少女に0.5 mol/L程度の星雲懸濁液を滴下すると、その戸惑いが強くなる、あ
わたしの花瓶は空のままです
今日の日は黄金の鳶 遠野市外郊の展望台から かそけし憂悶と荒廃とを 黄金の翼に広げて 雲の切間から展がる展望の 愛撫したくなるような——愛しさ 淡い光の底に起伏する 小山や川やささやかな街並みや 先から小さくうなる虻や 私は半ば退屈しながら眼下を見下ろしていた 考えるともなく考えていた 今からでもこんな詩を 朗らかな、そして汚れのない抒情詩に書き換えたなら 今度こそあなたは受け取ってくれるだろうか?
触れた指先の皮膚から じゅくじゅくと血膿は垂れ プルトニウム・ラヴ 我が思想はどこまでも暗く 冷たく重重しい月 皓皓冴え 夥しい十字架を背負いし墓地 我が棺は厚さ5 mmの鉛に閉ざされ 苦渋の恋を物語る お前の居る場所や向けられた笑まい 耐えきれずに重く 我が恋はプルトニウム 悪魔が墓場の土を踏み 病巣が糜爛し毒を放つ月夜 お前は私を許さなければならない! その余はどうでも良いことだ
花は揺れ春の光 どよもすいのちは もくれん さくら うめ すみれ こぶし すいせん むらさきけまん みつまた すずらん ほとけのざ すずめのえんどう ゆきやなぎ くるくると くるりくるりと気がふれる 春の風で気がふれる 雪崩うつほころびをどうしたらいい 花は一面こみ上げて あふれあふれてできない 息ができない ……ことばができない あ あああああ ああ…… とめどなくこぼれ散る花嵐に揉まれ 楔を打ち込めば脆くも崩れる心臓が いくつも、いくつも連なって続く そこかしこで ああ