くいいじ 鍋
【2009年発行】の「食べ物連載 くいいじ」(文藝春秋刊)に掲載した文章をnoteに再掲致します。記事の内容は原稿制作当時の出来事です。
(スタッフ)
食べ物連載「くいいじ」 鍋
寒くなって来るとスーパーの野菜達のキャッチフレーズに「お鍋の季節です!!」「お鍋にピッタリ!」などが増えて来る。
鍋のためのスープの素のレトルトパックなども盛大に並び始めるが、キムチ鍋やらチーズフォンデュ鍋、クリームシチュー風など一体どこまでを「鍋」と定義したものかわからない様なものも目にする。
先取りした事を自慢する訳ではないけれど、私は寒くなる前から鍋をしていた!!
ってこんな事本当に自慢になりゃしないのだが、とにかく仕事中の食事の鍋率は八割を超える。
その理由はもちろん準備が簡単だからに他ならない。
材料を買って来さえすれば後は野菜を切るくらいで殆ど料理のうちに入らない。
しかも出汁を薄味にしておけば、後の味付けは各自思い思いに工夫して好きな味で野菜も肉も魚も楽しめる。
一人が「カレー食べたい!!」と言っているのにもう一人が「いや、うどんだ」と主張、両者睨み合いのまま三十分経過…と言うデリバリ注文時のようなもめ事も起こらない。
そう言う訳で鍋の時のテーブルの上にはぽん酢にしょっつる、大根おろしにもみじおろし、ゆず胡椒に黒七味、おろし生姜におろしにんにく、腐乳に豆板醤が並ぶ事になる。
腐乳と言うのは沖縄の豆腐餻に似た食べ物で中華食材として最近割と出回っているけれど、生卵を割りほぐして腐乳ひとかけらと豆板醤を入れおろし生姜とにんにくを入れて作ったたれに、さっと鍋で火を通した小松菜やら長葱、豚しゃぶ用の薄切り等をつけて食べる「腐乳鍋」は、ウチの定番中の定番だ。
当初知人に教えてもらったスタイルは、胡麻油を鍋底に一センチくらい入れて熱し、そこで野菜や肉を揚げてたれにつけると言うものだったが、それだと周りに油が飛んで後片付けが大変なのでウチでは普通の鍋にしてしまった。
それでも充分美味しいし、最後に細めの中華麵でシメるのが病みつきになる。
文字通り事務所での「鍋界」を席巻した。
特に男子達のこの鍋への喰い付きは目を見張るものがあった。
一方女子のみの穏やかな鍋と言うと、たらちりや鶏だんごに水菜。
そうしてぽん酢やすだちをかけて食べると言うシンプルかつあっさりした物が多い。
しかしここで鍋奉行が現れる。
私の右腕アシスタント、ナミーン(メガネっ娘)である。
普通鍋奉行と言うと、煮えたものを取りわけ早く食べろと仕切る人の事を言うけれど、彼女はそんな事はしない。
野菜やだし汁を足したり、小まめに立ち働いてはいるけれど、煮えてるからここ食べちゃって!! と言うような真似を一切しないどころか、私に
「早くきのこ入れてよ!!」だの
「麵も全部入れちゃえよ!! そしてちゃんと混ぜろよ」だのうるさく指図されて、その指示通りに鍋を管理してくれる。
(むしろ私が鍋奉行かと言う話だが、自分は口ばっかりで何もしないのだからもっとタチが悪い。「鍋老中」もしくは「鍋殿」である。)
ナミーンが皆を黙らせるのは、取り分けた後の自分の小鉢の中でのたれ作りにおいてであり、その意味で奉行なのだ。
彼女の鍋の食べ方は独創性に富んでいて他の追随を全く許さない。
たれのベースに何を使っているのかは謎だが、ある時はひきわり納豆とカマンベールチーズ、そしてマヨネーズ。そこにクミンをトッピング…と言った勢いだ。
もし有ればきっとケチャップも入れる事だろう。
差し入れで戴いたりした珍しい調味料があればひと通りは試している様子で、ある時香酢とヨーグルトを混ぜて
「美味しいし健康にもいいですよ」
と言うので勧められるままに試してみた事があったけれど追随は不可能であった。
どうも彼女の中では「発酵食品は全部一緒に食べれば食べるほど体にも良いに決まっている」と言うガイドラインがあるらしく、それに沿う形で世の「体に良い」と言われる食品が一堂に会した鍋の食べ方となるようだ。
恐ろしい。
そんな鍋奉行のナミーンの取り皿の中を見るのが恐ろしいので皆うつむきがち。
頭が高い!! と言われる事は無いのである。
鍋の楽しいところは、その囲む人々のパーソナリティが湯気と一緒に浮かんで来るところ。
人より一枚でも多く肉を食べようとする人も居ればスープをどんどん飲んじゃっておじややうどんに足りないじゃないか!!と皆に怒られる人も居る。
…気を付けたいものである。
・・・
「くいいじ」のエッセイをもっと読みたい方は下記からどうぞ!
紙版、電子書籍版ともに発売中です。(スタッフ)
安野モヨコのエッセイやインタビューをさらに読みたい方は「ロンパースルーム DX」もご覧ください。(スタッフ)