0802_金魚
祭りの夜店で目にした金魚掬いで、私は静かに涙する。あの子を思い出していた。
私の勤め先の古本屋には金魚がいる。
白っぽい子と朱色の子が2匹の計3匹。いつから居るのかは知らない。私が入社して今の店に配属となって10年、彼らは既にそこにいて、毎日をゆうゆうと過ごしていた。他の店にはいなかったので、この店が独自に飼っているのだろう。
もしかしたら、私の知らない間に代替わりしていたかもしれない。分からない。興味が全く無かったわけではないが、大きく興味を持つには至らないほどに当たり前の存在だった。いつも彼らはそこにいる。名前はない。
ただ一匹、興味を持たざるを得ない子がいた。朱色の金魚。配属されて4年が経つ頃、何気なく毎日彼らを見ていても、それは分かるほどに一匹の金魚の腹部が大きくなっていた。赤ちゃんがいるのだろうかと、同僚たちと少しだけそわそわしていた。
そのまま、1年が過ぎ、やがて6年が経った。最初の1年で既に妊娠ではないと皆、分かっていた。もしかしたら病気なのだろうかとも、皆で話した。誰かが店長に伝え、店長は熱帯魚ショップの知り合いに様子を聞いてみると言ってくれた。けれどそれきりだった。お腹はどんどん膨らんでいった。それにも関わらず、今までと変わらず、ゆうゆうと穏やかに泳いでいた。
そうして、何年も経った。
既にその金魚のお腹が大きいことが当たり前のようになっていた。けれど毎日、誰も彼もが大丈夫だろうかと少しずつ思い続けてはいたはずだ。
夏のある日、出勤すると、その子は水槽にいなかった。モウモウと暑い中にも関わらず、私の汗はヒュッと冷えて引っ込んだ。私はその日、遅番勤務だったので、引き継ぎ時に早番勤務者に聞いてみたが、そこにいる人達は誰も知らなかった。
「朝来た時にはもういなかったよ、多分」
「昨日からいなかったんじゃない?」
「清掃担当者に聞いてみたら?」
言われるまま、私は方方に連絡して聞いた。けれど不思議なことに、誰もあの子の行方を知らないのだった。
「誰かが埋葬したんじゃない?」
1人の同僚が言ったことを、仕方がないので真実とした。
あの日から、既に何年か経っている。私は毎朝、水槽を見てはあの子を探してしまう。夏のこの季節、祭りに行けば当たり前のように金魚すくいの夜店を覗き込む。
あの子はしんどかっただろうか。ゆうゆうと泳いで見えたのは果たして本当だったのだろうか。少しでも穏やかな時があっただろうか。何もできなかった私の、密やかな応援は届いていただろうか。
夏のある日、私はそんなことばかり思って涙する。
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★著者:あにぃ