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春やら夏やら⑤【連続短編小説】
※前回の「春やら夏やら④」はこちらから
美容師さんが私に鋏を向ける。
切っ先がきらりとひかり、私はそれにやられて目を細める。もしかしたら、全然違う自分に変われているのではないかという淡い期待を持って。こだわりはないが希望はある。
「いかがですか」
満足げな美容師の彼女は口角をくいと上げ、目尻を柔らかく下げて鏡越しに私に微笑んだ。
私はその微笑みにつられて微笑みながら、首を傾げた。
『いかがなものでしょう』
とは、口に出せない。
「ありがとうございました」
私は手早くそれだけを言い、イスを立ち上がった。けれど美容師さんは立ち上がるその私を優しく引き止めた。
「髪の毛払いますので、もう少し座っていてください」
私は座り直し、彼女の持つ小さな毛払いのブラシが肩に触れるのを待つ。
ショートカットが過ぎるのだ。
確かにがらりと変わった。
変わったけれど、もともとかわいらしくも綺麗でもない私の顔のつくりではショートカットは似合わないのではないか。
耳下くらいに切りますねと言ったから、髪も耳に掛けられるのだと思ったが、かける長さもない。カラーもパネルで見たときには暗めの茶色に見えたものだが、今見えるには黒に近い。
「これは、似合っていますか」
私は表情を極力変えずに聞いてみた。
「はい、とても綺麗な頭の形と顔のパーツでいらっしゃるので、そちらがより綺麗に見えるようにと切らせていただきました」
彼女はやっぱり自信がある様子で言うのだった。
「こだわりがないとおっしゃっていたので、こだわりがないことにこだわってもらおうと思いまして」
そう言った彼女を、私はぼんやりと眺めていた。どうやら私が彼女の言葉を理解していないことがばれたらしく、彼女は続けた。
とても柔らかく、静かな声で。
「こだわりがないとのことでしたので、どんな髪型でも受け入れてもらおうかなと思いまして。少し強引ですかね。でも、こだわりがないことはとても強いですよ。何にだって、どうにだってできる。だから、こだわりなく、ただ綺麗になってもらおうと思いました。そして私は、この髪型が今、あなたに一番似合うと思っています」
そんな風に自信に満ちた顔で言うので、私は彼女に魅入ってしまう。
とても柔らかく、静かな声なのに、ハキハキとしていて饒舌だった。私もこんな風であったなら、いろんなことを自分で考えて自分で決めて生きることが出来たのではないかと、ふと思うのだった。
「私、結婚するんです」
つい、ほろりと出てしまった。そして、最初に彼女に言ったなぁと思い出して恥ずかしくなる。逃げるように目を閉じる。その直前に見た彼女の表情は変わりない。
「ええ、それはおめでたいことです」
彼女はそう言い、そして私はなんだか少しだけ残念に思った。
「結婚にも、こだわりはないのですか」
彼女は私の髪にもう一度ドライヤーの風を充てては髪の毛を払っていく。細かくて黒い小さな針のような髪の毛たち。
「まあ、そうですね。こだわりはないかな。自分でも、ああ、結婚するんだなぁくらいの感覚です」
私は勝手ながらに妙に照れくさく、自分でもあまり好きではないような顔で小さく笑って見せた。
「それくらいがいいんじゃないですかね。多分、ふわっとしているその方が、なんか全部が幸せにつながる気がする」
私の短くなった髪の毛たちが、ドライヤーの風でぱらぱらはらはらと踊るように揺れる。少しだけ、喜んでいるようにも見えて、現に私は喜んでいた。彼女の言う『ふわっ』とか、『なんか』とか『気がする』と言うそれらが妙に私の気を許すのだった。
「ああ、なんか今ちょっと、幸せです」
「それは良かった。はい、出来ました」
両肩にぽんっと手をおき、彼女は笑った。鏡には短い髪の誰かがうつっている。よく見れば、短い髪のそれらは軽快に踊っている。
髪を切りました。
ああ、あなたも切りましたか。
とてもお似合いですよ。
少なくとも、今のあなたに一番似合っています。
続 -春やら夏やら⑤【連続短編小説】- 7月11日 12時 更新