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0620_叶え!

「ね、どうしたい?」

 嬉しそうにそう聞いたのは山下叶えだった。『叶』に『え』と付けて『叶え』と言う。何をどうしたかと聞かれていたっけな、と私は思い返した。ああ、ああ、そうだった。
『何の心配もなく、やりたいことがやれるとしたらどうしたい』と、問われたのだった。そうだなぁと私は考えたふりをしたまま忘れていたのだ。清原さん、と私の名前が呼ばれたので話が終わったとさえ思っていたのだが、山下叶えの中では終わっていなかった。

「そうだなぁ、何の心配もいらないのなら、私はずっと眠っていたいなぁ」

 私はこのあと数時間後に入るだろう自分の布団を思い浮かべながら言った。もう眠いのだから世話はない。
 山下叶えは、なんだかつまらなそうな顔で、ふぅん、と言う。寝る、とはかくにもつまらないことなのだろうか。

「あとは?」

 どうやら許してくれないらしい。

「あと?そうだなぁ、本を読み続けたいなぁ。勉強するのでははく、ただ好きな本をひたすら読んでいたい」

 私はこのあと数時間後に入っては開くだろう布団の中で読む小説の続きを思い浮かべては、ふふふ、と笑った。
 これにも、山下叶えは不満足だったようだ。もう、聞いてこなくなった。
 なんの心配もなく、という時点で非現実的であり、うーん、と思う設問だ。私の答えは至極真っ当ではないのか。心配の可否でできること出来ないことが分かれるというのも、答えを狭めるではないか。

「山下さーん」

 私の隣に座っている山下叶えが受付に呼ばれた。苗字を呼ばれ、ピクリと肩を反応させたが、彼女は立ち上がらない。少しすると

「ヤマシタカナエさーん」

 フルネームで呼ばれた。そこで席を立ち上がった。私は何だか妙に慌てて彼女に聞いてみた。

「叶えは、どうしたいの?」

 私は何の気なしに、この子がそうしたように、ただ聞いてみた。すると、山下叶えは振り返り、にやりと嬉しそうに笑っていった。

 「『え』を無くす」

 そのまま彼女は、ずんずんと受付に向かっていった。

 私は、何の心配があって無くせないのだろうかと思ってみた。そして、『叶え』の『叶え!!』と言う雰囲気と漢字からポロリと一文字ひらがなが落ちているその見た目が好きだなぁととても自然に思えたのだった。

 彼女が戻ったら伝えてみよう。
 なんの心配もなく、私は『叶え』が好きだよ。

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