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0506_これさえあれば(仮)

 これさえあれば、私は生きていける。

 この一冊があれば、私の生きる指針になるだろう。
 この一冊があれば、私が涙するときにはその涙を乾かしてくれることだろう。
 この一冊があれば、私が怒りに我を忘れそうなその時に、怒りを沈める術を示してくれるだろう。
 この一冊さえあれば、私は生きていける。

 この一つがあれば、私の生きるよすがとなるだろう。
 この一つがあれば、例え雨の日も風の強い日も、私は懸命に仕事を全うすることだろう。
 この一つがあれば、誰かがなにかに迷ったその時に、私は静かになにかを教えてあげられるだろう。
 この一つがあれば、私は生きていける。

 この人がいれば、私は私にとって正しく生きていけるだろう。
 この人がいれば、泣きたい夜に抱きしめてもらえるだろう。
 この人がいれば、私はなにも聞かずに抱きしめてあげられるだろう。それは、真に愛情であると思えるだろう。
 この人がいれば、私は生きていける。

 私はずっと、生きるために必要だと思われる、たった一つの『なにか』を探し続けている。それは本であり、モノであり、人である。もしくはその何れでもない。草の根も空の青味も赤い夕の空気も、そのどれに触れても『なにか』は見つからないのだった。それさえあれば私はきっと毎日を健やかに幸福に生きられると思うのに。それさえあれば私はもっと自由に苦しむことなく生きていけるのに。そう思えば思うほど、そんなものはないのだと心のずっと奥の方で気づき始める。『これさえあれば』は『これがなくても』なんとかなるのではないかと思い始めている私が確かにいる。

 多分、これさえあれば生きていける『それ』など存在しない。これさえあればと思うものは存在こそすれ、それだけで良いわけではないだろう。

 私が半ば諦めかけているのは、子供が成人したからだろうか。もう、私が生かしたいと思う対象は私の手を離れたのだ。ここにはもう、なにもない。優しい子に育ってくれた。幸せにこれまで生きてくれていたようだ。私や夫にとって、子供の成長は最大の功績である。『これさえあれば』を欲した日々は確かにあったけれど、結果、苦しくも『これさえあれば』がなくても生き続け、子供を成長させることができたのだった。

 そうしてやっと気づく。
 私のこれさえあればは、子が、その全てであったのだ。
 私にとってそうであるだけで、もしかしたら夫にしたらまた違うのかもしれない。
 でも、うん、そうだ。
 私には、私のこれさえあればがちゃんと存在した。そしてそれに今やっと気づいたのだ。

 これから、私が寿命を全うするまでに何十年もあるだろう。私はそれでも、新たな『これさえあれば』を探し続けるだろう。そして、それはきっと生涯を終えてやっと気づくのだろうと、そんな風に思う。

 そう思えば、私のこれさえあればは『生きてさえいれば』に他ならない。

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