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0626_全力疾走

 それなりに充実している。
 
 満員の朝の通勤電車内で、そんなことをふと思うくらいには充実しているのだ。ことさら、不満を吐き出すこともない。
 家族がいて、それなりに名の知れた企業に勤め、家も買った。毎年恒例の海外旅行も板についてきたし、欲しいと思うものを我慢することもあまりない(そもそもそこまで高価なものを欲しいと思わないのだが)。

 それでも、『それなりに充実している』と、ふと自分に『言い聞かせるように』思うくらいには空虚な時がある。
 充実しているしていない、あれが欲しいこれが欲しい、幸せかそうでないか。これらを頭に浮かべる時点で、きっと私は何かを欲しているのではないかと疑っている。
 そんなふうにして、降りた最寄り駅から自宅に向かう。

「ほら、もう帰るよー!」
「やだ!まだ遊びたい!」

 通り道の公園に親子がいた。この季節の18時ではまだ遊んでいる子供もいくらか見える。もちろん、そこには親がいる。
 まだ遊びたいと強く伝えた子供は、その親に帰らされないようにと公園内を走り始めた。滑り台をすべり、ブランコをぶらん、と一振し、砂場の縁を急いで丁寧に歩く。

 子供のその、一挙手一投足が全力であるように見えた。

 走り回ることも全力で、滑ることにも揺れることにも全力でこなしている。砂場の縁は全力でそこから落ちないようにと集中して丁寧に歩いているのだ。多分、落ちたらサメにでも食べられるのだろう。

 全部、懸命である。

 母親は困り顔でそれをゆっくりと追いかけた。困ってはいたが、その夢中で駆ける我が子を愛しく見つめるようだった。

 私には、きっと夢中さや懸命さがないのだろう。ほどほどに整っていると、気づかぬ内にぽかりと穴が空くのだ。

 私は、時計に目を向ける。普段はここからなら自宅まで5分歩いている。これを、猛ダッシュで駆けてみようと思いつく。

 空虚さも何も感じることなく、私は夢中で家まで駆けるのだ。

 玄関のドアを開けたなら、驚き、困ったような顔で妻が私を見ることだろう。そこに愛を感じることができればなおいい。

 さて、久々の全力を楽しもう。

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18時からの純文学
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★著者:あにぃ


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