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0731_カクレクマノミ

 電車を降りて改札に向かう途中、目の前にカクレクマノミがあった。

 もう少し詳細に伝えると、『目の前を歩く黒い半袖シャツを着ているスラリと背の高い女性のその背中のシャツにカクレクマノミがいた』である。シャツの背中、タックに隠れてひょっこりと2匹、カクレクマノミがいるのだ。めちゃくちゃ可愛い。私はつい、じっとその人の背中を眺めてしまった。シャツは海のような青ではなく、艶のない黒色である。隠れるにはもしかしたら良いのかもしれないが、オレンジの小さな体が抜群に映えている。
 
 こんなこと、本当は品がなくてよろしくないのだが、私は、果たしてどんな人がこれを着ているのだろうかと気になった。いくらかの自然な早歩きで彼女の前に躍り出た。

 彼女は泣いていた。

 シャツの黒に反して、涙の海である。しゃくりあげるまではなんとか我慢しているようだが、とめどなく流れている涙は滝のようだ。チラと見るだけのはずが、気になってしまい、私は思わず声をかけた。

「大丈夫ですか」

 よりによって何のひねりもない声掛けに自分で残念に思いながらも彼女の涙から目が離せないでいた。彼女は泣き続けたままで、私に視線を向けた。

「大丈夫です。なにもありません」
「でも」
「痛くも痒くもなく、ただ涙が出てしまうだけなので大丈夫です」

 スタスタと速度を落とすことなく彼女はあるき続け、それに合わせる私もまたあるき続けた。改札に向かって一直線である。

「ハンカチ、ハンカチお貸しします」

 言ってすぐに後悔する。貸しを申し出るとは、私はなんとも·····略。彼女は案の定、それに手は伸ばさず、やはり歩いている。わずかに涙の量が減っている。

「大丈夫です。涙はいずれ止まります」
「でも」
「心配しないでください。敢えて止めないのです」

 そう言うと、彼女は少し俯いた。

「無理に止めると、悲しみが残ってしまうので、止まるまで流すのです」

 鞄からパスケースを取り出しながら歩みを緩めた。私も思い出しては鞄を漁る。そして、彼女に続いてピッとする。彼女は私の目の前で止まり、私に向き直って言った。

「飼っていた小さな魚が死んでしまっただけです。ご迷惑おかけしました」

 小さく会釈をし、また前を向く。すぐに歩き出した。一瞬だけの確認であるが、多分涙は止まっていたはずだ。

 涙が止まったのなら、悲しみも止まったのだろうか。

 私は思いながら彼女とは反対に歩き始めた。

 そして、飼っていた魚はカクレクマノミだったのだろうか。

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★著者:あにぃ


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