3月11日いのちの日/おうえんの日
私は生きている。
ここに生きて、笑うでもなく怒るでもなくただぼーっと立っていることが、愛おしくてたまらない。
私は生きている。
生まれたときには意識もせず、幼稚園では生きるも死ぬも分からないし知らない。小学校ではようやっと理解もできてきたものの、それらはとても遠くにあるのだった。
中学生で生に焦がれた。
ただただ単純に毎日が楽しかった。友人に囲まれ、好きなものを好きと言いながら、でも言えないと言うジレンマを感じ、ただひたすらにズンズンと前に進んでいたように思う。生きるを歩いていた。
高校生では苦しみを知る。
日々が重くて仕方がない。足枷をつけられているのに懸命に前に行こうともがくような日々だった。死にたいと思うことは山のようにあった。苦しいけど、死なない日々だった。
大学に入り、呼吸ができるようになると、何でもない毎日が続けられるようになった。笑うことも増え、日々は楽しかった。幸せだった。
でも、不思議なことに生きていてよかったと意識することはあまりないのだった。
苦しい時には死にたいと思うくせに、幸せな時には生きたいと言う意識が強まることはない。
これはいかに生が当たり前になっているかと言うことなのだ。
生きていることは当たり前で、そこから逃げたいときには死にたいと思う。死はイレギュラーで、生は当たり前だった。
当たり前のことに、人は、なかなか感謝もしないのだ。
あの日、あの子の肩に触れた時、私は初めての生と死の境を知った気がした。
「両親の元へ帰りたいです」
小さくか細い声は今にも消えてしまいそうだった。けれどその目にも声にも力が入っていて強さを感じる。
そこには死を意識する生がいた。
「連絡がまだ取れないので、直接行けるところまで行こうと思います」
「連絡が取れてからの方がいいんじゃない」
無事にたどり着けるのかも不安に感じた私や同僚は彼女を軽く止めた。彼女の地元は被災地となっていたのだ。テレビで見る光景はどれも悲惨なもので、訪れたことがなくても、そこにあったものが無くなっているのが分かった。
私は彼女の肩に触れた。年齢は1つしか変わらないのに小さくて細い肩が切なくて苦しくて震えている。
「気をつけてね、何かあったらすぐに連絡して」
私がそう言うと、彼女は目から大きな粒を落とした。
生と死は揺れる。
私は生きることを選んだのでも、死ぬことを選ばないのでもないのだった。ただ、生かされているのだろう。
生かされることがなくなれば、死にむかうのかも知れない。
そして私は、いつその時が来るのかも知らない。だから、今の生を懸命に生きるしかないのだと思う。
死にたいと思うくらいなら、生きていることを意識して生きたい。
それが私だけでなく、他の誰もそう思えるように、手を差し伸べてあげたい。
全世界の人を救えるとは思わないけれど、ただ一人の目の前にいる人にだけでも手を差し伸べる。その人が前を向いて歩けるよう。
あの子がもう大粒の涙を流すことのないよう。
ここに生きて、笑うでもなく怒るでもなくただぼーっと立っていることが、愛おしくてたまらない。
共に生きよう。
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【今日の記念日】
★3月11日 いのちの日
2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では多くの命が失われた。命の尊さを思い、命の大切さを考え、震災で学んだことを風化させることなく災害に備えようと「災害時医療を考える会(Team Esteem)」が制定。災害時医療の改善を図るとともに、9月1日に防災訓練が行われるように、3月11日には健康、医療、災害時の体制などを考える機会を設けたいとの思いから。
★3月11日 おうえんの日
山下翔一(株式会社ペライチ)、柚木昌宏(bondclub)、高田洋平(マネバナ)の3氏が制定。2011年3月11日に発生した東日本大震災では多くの人が亡くなった。その日を忘れることなく、今生きている人たちが小さな一歩を踏み出そうとする人を愛を持って応援することで、人の優しさにあふれる日とするのが目的。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。
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