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ひととせ③【連続短編小説】
※前回の「ひととせ②」はこちらから
花は散ると言うが、それは折り紙の花でも同じだろうか。
「散るよ」
サキが言う。そしてすぐに、嘘だよと言った。とても悲しそうな、でも少し怒っているような変な顔をして泣いた。
その日、僕は会社を早退して帰宅した。
昼休憩のあと、いつも通りに業務をこなしていたのだが、ふと強い不安に襲われたのだ。何があったわけでも、誰かに何かを言われた訳でもない。ただ、不安になった、それだけである。症状が落ち着いた今でも原因は分からない。
気付いた時は小さな種だった。
あれ?
その程度の感覚。
それは、めがねをかけようとケースを開けてそこにめがねがなかった時のような簡単な不思議。何かを取ろうとして台所に向かい、冷蔵庫を開けた時、何を取るのかを一瞬にして思い出せなくなる簡単な宇宙。
あれ?とか、なんだっけ?とか僅か数秒固まる、そのすぐあと。
ドクン、となった。
心拍が急激に上がったのが分かる。
体中で脈打つそこここのすべてに心臓そのものがあるような強い鼓動。こめかみや首、手首の血管なんて、実際に見た目にも盛り上がってしまったのではないかと錯覚した。ドッドッドッドッと跳ねているそれはすべて『不安』と名付けられた兵隊たちが行進している足音である。やがて兵隊たちは僕の胸なのか頭なのか、つまりは体の大事な部分をめがけて押し寄せてくる。
そんなイメージが、わぁっと数秒間頭を駆けめぐり、僕は立っていられなくなった。慌ててトイレに駆け込み、個室に入って扉を閉めた。けれどもう僕の脈は異常なほどに高まっていて、血流は僕の体を打ち破り、トイレの個室のドアさえもドクンッと跳ね上げた。
そうして実際には、僕がドアを殴ったようだった。
直後にトイレの近くを通った同僚が、ドン、と言う大きな音が鳴ったことに驚き、入ってみると、一つの個室が閉じられていた。ノックをし、大丈夫かと声を掛けるも返事がない。隣の個室に入り、便座に足をかけて上からのぞくと、そこには僕が倒れていたと言う。
手には、折り紙が握られていたというのだから笑える。
「散らないよ」
サキはそのくしゃくしゃになってしまった梅の花を両手で丁寧にしわを伸ばした。
「折り紙は紙だから、燃やさない限りは散らないし消えない」
「そうだね、でもくしゃくしゃにはなるね」
僕が言うと、また少し悲しそうな顔をした。僕はいじわるだった。なんだったら、燃やせばなんだって消えるよとさえ思ってしまった。
ごめんねと言おうかと考えていると、サキは小さく笑って見せた。イイコトを思いついて、でもすぐには教えない、そんな風に、不器用に口角が僅かに上がっていた。
「くしゃくしゃでいいんだよ」
丁寧にそれの皺をのばしていた手を止めて、一転、左手でぎゅっと握った。梅の花は再度見事にくしゃくしゃになった。
「だって、きっと本物の花には無数のしわがある」
やっぱりイイコトに気付いたと言うようにニヤリと笑って言った。
「うーん、咲いている花にはそんなにしわはない気がするけどなぁ」
僕が言うと、サキはどこか悔しそうに言い返す。
「咲いている花じゃなくて散った花だよ」
そうして、なぜかまた両手でしわを伸ばし始めた。サキがもう一度こちらを見る。
「結局散るんじゃんね」
自分で言っておかしそうに笑った。
続 ひととせ④【連続短編小説】 1月23日 12時 更新