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0307_まぁいっか。

 叩かれた頬がじぃんと痛かった。確かに悲しかったし、申し訳ないと思ってはいたが、ただそれだけだった。
 それだけ。
 私を思い切りひっぱたいて盛大に罵声を浴びせて振った女はさめざめしく泣きながら、好きだったのに、とそんなに小さくない声で言った。
 私も好きではあった。
 ただ、あなたの好きとは少し違っただけだ。好きだから一緒にいたいとか、好きだから抱きしめたいだとか、好きだからキスをしたいとか、そういうものではなかっただけだ。だから、あなたの要求には応えられないと思ってそれを伝えたのだけれど、それもまたあなたの要求には応えられなかったのだな。

「ごめんね、僕も好きだったんだよ」

 更に言うと、今でも好きだ。でも、本当にそれだけ。好きだなぁ。それだけ。この気持ちとキスやハグ、セックスはどうしても繋がらないのだった。どこか、欠陥しているのかもしれない。キスもハグもセックスも、好きではない人とも出来る。そこに特別な気持ちはなく、ただ欲求を満たすのみで、そこに愛情を差し込まれると、途端にすべてが崩れてしまったのだ。

「あなたは冷たいのよ」

 吐き捨てるように彼女は言って、私に背中を見せた。そのまま遠くなる彼女を見て、私はそんなに何とも思うことは無かった。

 冷たいのだろうか。確かに私は何をするにも深く入り込むことがない。彼女を思って何かを考えることもなければ、会いたくて堪らないなんてこともなかった。例えば今、目の前で猫が通ったわけだけど、猫が通ったなぁ、そう思った。それだけ、なにもかもそれと一緒。きっと私は早々に彼女との別れを忘れることだろう。現に今だって頭の中から抜け始めている。彼女とのデートで楽しかった記憶さえも取り出せない。今までに付き合った恋人でもそうだ。だから彼女に特別感情が薄かったわけでもないけど、濃いわけでもない。本当に、記憶に残す興味がないのだろうと思う。
 そもそも物事を深く考えたり、気持ちを入れ込んだり、そんなことも苦手で、だから冷たいなどと言われるんだろうな。一つのことを大事に思い続けることが出来ない。その先を考えることができない。こんなことでは私はきっといつまでも独りぼっちで······。

「あ、カマキリの卵だ!」

 道端の草木についた直径5cmほどのそれを見つけて私は思わずニヤついた。 

 さっきまで何を考えていただろうか。

 ま、いっか。

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