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7月20日 ゆとりうむの日

「もうちょっとゆとりを持たなきゃ」

 目の前のハツラツ、カイカツとした男性上司が私にそう言うので、カラカラ、ボロボロの私は、思わずプッと笑ってしまった。

 幸い、彼は私に言った直後に視線を自分の机の上に変えたので、私の顔や、プッとなったその音が一体どこからきたのかなど目にすることはなかった(聞こえているとは思うけど)。


 ゆとりってなんぞや。


 13時をすぎてようやく取った昼休憩に私はコンビニのイートインスペースでそう思う。締め切りぎりぎりの書類提出に対する苦言なので私もほめられるものでは決してないけれど、ゆとりの必要性を提言されるとも思っていなかった。

 思わずデバイスに入っていた国語辞典でゆとりを調べてしまったではないか。

『空間的・時間的・経済的・精神的に必要以上のあまりがあって、きゅうくつでないこと。余裕』(参照元:明鏡国語辞典MX)


 空間的には余裕があるかも。会社には私にとって充分なスペースのPCデスクが与えられているし、家もある。

 でも、時間的、経済的、精神的、そのどれも今の私にはあまりがあることもなければ窮屈でないわけでもない。つまりそこに余裕はない。


 朝起きてぐずる寝起きの悪い子供2人を20分近く要して起こし、急ぎ台所へ向かって朝食の準備を行う。その間にも、やれ早よう着替えなさい、顔を洗いなさいと、言い続けている。朝食が準備できればさあ食べてと促しながら、今度は自分の出勤準備に取りかかる。子の歯磨き、お風呂掃除などを完了させて、私と子供は保育園へ。もちろん夫もやってくれるがそれでも手は足らないのだ。

 何とか預け終えて、そのままダッシュで駅まで急ぐ。

 始業すればばたばたと業務をこなす。頻繁に雑務が重なる日はやりたかった仕事が出来ないことも多い。これはみんな一緒だろう。

 定時終業時間より1時間早く業務を終える。仕事は好きじゃないのに残業したいと思ったことは2日に1回ある。

 最寄り駅に着いたら着いたで夕日が沈むより先に子供を迎えに行くべく、やっぱり猛ダッシュする。

 帰宅すればもう就寝時刻まで食事以外には座ることなく時間を過ごす。第2ラウンドの鐘が鳴る。

 保育園の持ち帰り荷物を出して明日の持ち物に入れ替え、タイマーをかけ忘れた米を炊飯する。その間に最後の最後まで何を作るか決めかねたまま夕飯のおかずを作り始める。

 何とか作り終え、食べ始めようと思うと下の子がトイレへ。そのままお風呂に直行する事もある。

 早く着替えなさい、おもちゃを片づけなさい、早く2階に行きなさい。そう言って21時を回る頃、私の機能は限界を迎える。

 寝かしつけではもちろん私が1番に眠る。


 本当は、今はやりの朝活でもやって、早起きをして余裕、つまりは上司の言う『ゆとり』を持って生活したい。

 でもくたくたすぎて起きれやしない。


 そんな私にゆとりを持てと言うのね。
 そうかそうか、分かりました。
 私はPCに向き直り、スケジュールを確認する。

「課長、明日、私お休みをいただきます。業務の引継はありません」

 ゆとりを作ることが業務命令になるのなら、私は胸をはって自分の時間を作ります。

 仕事は休めるのだから休んでいい。

 でも生きている限り『自分』は休めないのだ。

 もっと自分を大切に、自分の為にゆとりを持とう。

 だから私は、明日お休みします!

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【今日の記念日】

7月20日 ゆとりうむの日

ゆとりうむ事務局が制定。暮らしを見直し、工夫することで「生活にゆとりを生む」に由来した「ゆとりうむ」。日常の家事には工夫次第で時間を生み出す「時産」のチャンスがいっぱいあることをより多くの人に知ってもらい、生み出したゆとりの時間を楽しんでもらうのが目的。日付はこどもの夏休みが始まり、ますます家事が忙しくなる時期にあわせて7月第3火曜日に。

記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。

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