12月17日いなりの日
一口かぶりつくと、じゅわっと油揚げの甘辛いつゆが溢れる。それに包まれたお米の一粒一粒につゆが絡み、口の中ですべてが合わさると、もうなんだか幸せを感じるのであった。
怒っているときには食べられないなぁと常々思う。
いなり寿司。
家族の祝いの食事ではいつもいなり寿司が出ていた。うちは妹がいるので、おひな祭りなんかも小さな頃は毎年していたが、その席もいなり寿司だった。友達の家ではちらし寿司を作ると言うところが多く、驚いた記憶がある。そんなことを母に言うと、これもまた驚く返事がきた。
「祐一郎がいなり寿司がいいって毎回泣いて言うから、うちはいなり寿司だったのよ」
祐一郎は僕で、うちの『祝飯』がいなり寿司であったのは僕の為だという。全然知らなかった。
「それ、いつの話?僕、全然覚えてないよ」
僕がそう言うと母は少し考えてから2歳くらいかなと答えてくれた。23年も前のことはやっぱり覚えていないし、2歳のわがままを何十年と許してくれていたのかと少しじぃんときた。
「由加はそれでいいって言ってたの?」
僕の希望がずっとまかり通っている間、妹の由加はどう思っていたのだろう。
「あの子が産まれた時はもううちではいなり寿司が定着していたからね。別に何とも言わなかったかなぁ」
かなぁ、と言う語尾であるならば、もしかしたら不満に思っていたのかもしれない。それはなんだかちょっと悪いことをしただろうか。
「ちらし寿司がいい!とかならなかった?」
「どうだったかなぁ。あぁ、でもちらし寿司は食べないの?って聞かれたかな」
思い出しつつ、母は言う。妹には何と答えたのかと聞くと、これもやはり思い出す。
「そうそう、いなり寿司の中のご飯をちらし寿司にしたのよ」
そう言われ、そんな時もあったかもと思いつつもはっきり思い出せない。
「結構、中身はいろいろ変えていたのよ」
記憶を懐かしむように笑って言った。言われてみれば少しずつ思い出す。
母の作るいなり寿司の中身は、確かにいろんな味がした。だから毎回飽きずに、皆笑って食べていたのだ。
「二人ともありがたいことに私の作るいなり寿司はどれも喜んでくれたから嬉しいわよ」
「こうしていい歳になって作り方を教えてもらうほど、僕はいなり寿司好きに育ったよ」
くつくつと煮立たる油揚げを菜箸で突きながら僕は言う。母は照れているのか、鍋を見ながら口にする。
「陽子さん、気に入ってくれるといいね」
今度は僕が照れながら頷く。
来年、僕は陽子と結婚する。5年付き合った彼女だ。僕が好きないわゆる『家庭の味』の作り方を知りたいと彼女が言ったので、迷わずいなり寿司と答えた。彼女に伝える前に、まずは僕が知ろうと母に教えを乞うたのだ。
正直、陽子は甘い味の食事をあまり好まない。だから、作るのはわさびいなりにした。甘辛い油揚げも少し甘さを控え、適度な辛味のあるご飯を中に詰める予定だ。
「2代に渡って継がれる家庭のいなり寿司って言うのもなかなか喜ばしいわね」
母は優しくやはり照れるように笑った。それは小さい頃に見た甘くも辛い母の笑顔だった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【今日の記念日】
12月17日 いなりの日
日本の食文化の中で多くの人に親しまれているいなり寿司。いなり寿司を食べる機会を増やすきっかけを作ろうと、いなり寿司の材料を製造販売している長野県長野市に本社を置く株式会社みすずコーポレーションが制定。日付は17をいなりの「い~な」と読む語呂合わせから毎月17日に。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。