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3月21日 はじめようの日
(いつもより長いです。※2400字程度)
西野アユミは悩んでいた。
昨日、実に23年ぶりに中学の同級生と再会した。仲の良かった4人組、マイ、ミホ、ハルミ、そして自分。久しぶり、と言うそのたった一言でまるで当時に戻ったように4人が滑らかに話し始め、とても心地良い。自分にとっての黄金時代は中学2年生の頃であると思っているアユミにとって、そのひとときは何とも幸福なものとなった。そして皆の顔を見ているとわずかに何か小さな小石のような不安が胸のうちにあることに気づき、それが悩みの種となった。
私はこの決断でよかったのだろうか。
そもそも、再会のきっかけとなったのは自分である。10年以上勤めた会社を辞めて夢を目指そうという大きな決断をしたことから、その決意表明を兼ねて、自分の輝いていた時代の友人に会いたいと思ったのだ。
西野アユミは大学を卒業して、大手企業に勤めていた。10年経たぬうちに結婚をし、子供2人に恵まれている。最初の出産のタイミングで彼女はキャリアを手放したのだった。それは本人が望んで決めたことであり、その道しかなかったわけでもない。彼女は仕事以上に手に入れた家族を愛しただけである。ただ、それだけ。
それは最初の育児休暇中のことである。生まれは長女が生後半年頃、彼女に本を読んであげようと、本屋さんに行き赤ちゃん向けのおすすめ本を探した。けれど、アユミ本人が面白そうだと思える物はなかなか見つからなかった。おそらく、自分が赤ちゃんな訳ではないので感度が違うのだろうが、彼女はなぜかそう思わず、妙に残念に思ってしまった。親である自分も子供に読み聞かせしつつ面白いような、胸に響くようなお話はないものだろうか。
翌日から、彼女は育児のあいた時間で絵本を描くようになった。
おそらく、すべてのきっかけはこれである。
話を創作し、キャラクターを作画する。それを話の構成に沿ってページを作り絵本に仕上げていく。ゼロから作り上げる作業は自分の心の中をとても豊かにした。最初は家にある材料で創作した為、薄いコピー用紙を束ねてホッチキスで止めただけの工作で出来たような物であった。けれどそれを我が子に読んであげると嬉しそうに声を上げてわらってくれたのだった。それが例え、単に母親に本を読んでもらえたから笑っただけだとしても、彼女にとっては代え難い喜びになったのだ。
そしてなにより、読み上げていた彼女自身がとても楽しく感じていたのだった。
こんな風に、読み聞かせをしている側の心に響くような、けれどもちろん聞いている子供たちも楽しんで聞けるような、読めるようなそんな本を創ってみたい。
以来、絵本を創作すると言う趣味のような活動を始めた。当時、彼女は31歳だった。事務仕事をしながら創作し、家事と育児と両立(出来ているのは不明だが)する日々は忙しくも充実していた。3年前には2人目の子供も生まれ、一瞬筆は止まったものの、育児休暇の途中にはやっぱりまた創作を始めた。
そうしてまもなく6年目を迎え、彼女は今年37歳となり、今回の大きな決断をするに至った。
長女の小学校入学に合わせて仕事を辞めて絵本作家への夢を目指す。 夫や家族にも協力を得て、つい先日会社に辞意を伝えたところである。その報告と決意表明を昨日、同級生に行ったわけだが、今日になって急に不安が押し寄せる。
上手く行くだろうか。
遅すぎるスタートを切っているのだ。ここから何年も下積みと言うわけには行かない。子供たちがここから大きくなっていくことを考えれば、正直、家計に余裕があるわけではないのだ。
でも、私は絵本が作りたい。
昨日23年振りに会ったかつての同級生は皆、快活だった。昔の夢を叶えたものもいれば、夢をあきらめ別の幸せにたどり着いているものもいた。私も仕事を続けて、またキャリアに戻るように努力をしたならば、その場所で新たな目標が見つかるかもしれない。
でも、私は絵本を作りたい。
西野アユミの中に、入り交じる感情がわき上がっては消えて、再びわき上がる。この道を選ぶと考え始めたのは半年も前である。そこから考えて考えて出した結論なのに、いざその時になって、その時を過ぎて、こうも不安になるとは思わなかった。考えが浅かったのかもしれない。これまでと同じように仕事を続けながら趣味で続けていけば良かったのかもしれない。
でも。
だって。
決意を揺さぶる台詞はいくらだって頭の中に浮かんでくるのだ。
でも、私は絵本を作りたい。
彼女の決断は結局ここに落ち着くのだった。
「ママ」
いつの間にかリビングに長女が起きてきた。時刻は夜11時。寝かしつけから2時間近く経っていた。
「どうしたの、おトイレ?」
西野アユミが聞きながら長女の肩に触れると、長女はその小さな頬をすり寄せてきた。保育園の卒業式が終わり、それでも4月までは変わらない生活であるが、その中でも長女の思うところは少しずつ変わってきたようで、こんな風に西野アユミに甘えることが最近時々ある。そんな時、長女はいつも彼女に言うのだった。
「ママ、ママのご本読んで」
いそいそと本棚に向かい、ボロボロのコピー用紙の絵本もどきを取ってくる。
「またこれ読むの?」
長女はコクンと頷き、座り直した西野アユミの膝の上に座る。そうしてもう何十回、もしかしたら何百回目かもしれない絵本を読み始める。
西野アユミが最初に創作した絵本である。
「私、これ好きなのよ。でももうボロボロだね。本屋さんに行って新しいのかって欲しいなぁ」
長女は分かって言っているのか、そう言って微笑んだ。西野アユミは「頑張ります」と笑って答えた。
身内に、それも小さな我が子に誉められたからと言って真に受けてプロを目指すなんて馬鹿げているかもしれない。
でも、私は絵本を創りたいのだった。
実際どうなるか、なれるのか、なれたとしてうまく行くのか。その全て、わからないことばかりだが私はそれでいいのだと決めた。
分からないから、一歩を踏み出すのだ。
分からないけど、絵本を創りたいのだ。
それだけで十分かもしれない。
春、37歳の私は、これから新しい道をはじめる。
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【今日の記念日】
3月21日 はじめようの日
株式会社大丸松坂屋百貨店が制定。春、何かを新しく始める人を応援する日。「さぁ、始めよう」という気持ちを思い起こしてもらい、それを応援するのが目的の「行動応援型」の記念日。日付は新しいチャレンジを始めるためのカウントダウンから「3、2、1」となる3月21日に。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
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