春やら夏やら⑦【連続短編小説】
※前回の「春やら夏やら⑥」はこちらから
待つ20分と向かう20分であるならば、どちらが良いだろうか。
私は、待つ方を選ぶ。
何かを待つことは、その先に目的の『何か』があるから安心だ。一方で自分から向かったならば、うっかり道を間違えてしまえば『何か』には出会えないかもしれない。
だったら待っていたいと思う。
「恭子?」
いつもより一層落ち着いた声で彼は私に声をかけた。真正面であるのに、何とも不安げである。ああ、そうだ、私は髪をばっさりと切ったのだった。彼の反応は無理もない。
「こんばんは」
私は妙な気恥ずかしさを押し込めて声を出した。そのせいか、何とも他人行儀な挨拶である。
「びっくりした。すぐには分からなかった」
彼はどこか興奮した様子でそう続けた。良かった、イヤな顔や雰囲気はないようだ。
「思い切ったね。うん、とても似合ってる」
「ありがとう」
待ち合わせのその場から動こうともせず、私たちはまるで初対面のようにお互いを丁寧に見る。
「何だろう、ちょっと照れてしまうね」
そう言ったのは彼で、私も小さく頷いた。
「じゃあ、ご飯行こう」
食事をする店は決まっていて、私も彼もよく行く好みの店である。私の短い髪に慣れない彼とその彼に馴れない私は、まるで付き合いたての二人のようだった。そんな雰囲気が私と彼を纏い、何となく少し目を細めた。
「とても良く似合っているよ、髪型」
「ありがとう。ちょっと首もとがスースーして落ち着かない」
私はそう言って首をさすって見せた。40歳の照れ隠し。
お待たせしました、と注文したトムヤムクンを店員が私の目の前に置いた。その後で、彼の前にはエビチャーハンをそっと置く。
平日の夜だからか店は割に空席が目立っている。おかげで注文したものはすぐに運ばれた。取り分け用の小皿とお椀をもらい、彼が取り分け始める。トムヤムクンの赤ともオレンジとも形容しがたい赤みが、私は好き。
「ベリーショートの花嫁さん、うん、可愛いかも」
エビチャーハンを前に、ぽつりと彼が言う。彼の頭の中で、結婚式をイメージしたのだろうか。その私はベリーショートだと言うから時期は近いのかも知れない。
「そろそろ式場を決めようか」
「うん」
私はやっぱりこの人と結婚をするのだろう。例えば私の彼への気持ちを大きく上回るほどの情熱を向けられる何かが現れでもしなければ、きっとこのまま結婚する。そう言う風に出来ているのだ。
そう言うもの。
「どこで式を挙げたいとか、ある?」
「・・・・・・どこでも」
言って、『どうでも』と間違えて口を出たのだと気づく。次いで、どうでも、と答えようと思っていたことに自分で少し悲しくなった。
「こじんまりと挙げられるなら、うん、どこでも」
「そうだね。お互いの家族だけしか呼ばないしシンプルにこじんまりと挙げよう」
仕方がないよねと言う諦めの様な表情を、彼はしていた。年齢か、それとも私の回答か、もしくは私自身にどこか諦めているようだった。
そして私はそれに少しだけホッとしたのだった。
私はいつも、私だけが何か特別でありたいと思っている。思っているけれど実際に特別なわけではないので、結局はその思いもひっくるめて、世の大半の人と同じなのだということも分かっている。
特別な同じ。
そんなことをここ数ヶ月、ずっと考えている。
歌手になりたいなどと昔の夢を思い出す程度には古い記憶を掘り起こしながら、私は私でここに立っている理由を探している。
理由など見つけなくてもいいのだと、店の鏡越しに映る私の短い髪々が踊りながら言った。それに少しだけ、いや少しよりもう少しだけ、ホッとしたのだった。
「航くん」
彼は顔をあげて私を見る。
「私、結婚しない」
彼の口端に、トムヤムクンのスープが付いていた。てらてらと赤くて綺麗。
ねえ、私は待つ方だけれど正解はどちらだろうか。
待っていて、果たして目的の『何か』が来てくれるかな。
待っていてもその『何か』が来なかったとしたら。
そのとき、あなたは向かっていくだろうか。
私は、どうだろう。
続 - (最終回)春やら夏やら⑧【連続短編小説】- 7月25日 12時 更新