『自分を許す』ってなんだろう?
頼るって、どうすればいいんだろう。
昔から、「頼る」という行為が苦手な私。どうしてなのか、最近は自分なりにいろいろ考えてみている。
相手に迷惑をかけたくないから。お願いしてもそれを拒否されたら、なんだか自分自身の存在を拒否されたように感じるから。相手の時間を奪ってしまいそうだから。そもそも「頼る」って他人に甘えている気がして、自立できてないと感じてしまうから。
でも、(少なくとも私の中での)最大の理由は、「情けない自分の姿、弱い自分の姿を人に見せたくないから」なのかもしれません。
「〇〇はなんでもできるね」「〇〇は優等生だから羨ましいな〜」
昔からそんな言葉をもらうことが多く、嬉しい気持ちもあるのですが、多分この「いい子」「優等生」っていうラベルをもらうが故に、私は人に頼ることができなくなってしまったのかな、と。
私は「いい子」「優等生」「完璧」で居続けないといけないんだ。
そのためには失敗したらいけない。人よりも常に優れていないといけない。怠けてはいけない。一人でなんでもこなせないといけない。
『弱い私』を見せてはいけない。
だから「人に頼る」ことはいけないことなんだ。
そんな考えに陥って、自分で自分を苦しめていたのかも。
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先日、親しくしている人と電話をしている時に、英語で会話してみようという流れになりました。(私も相手も英語を勉強している身であるため)
英語は大好きだけれど、自分の発音に長年コンプレックスを感じている私。相手は私の発音コンプレックスを了承しつつ、上部のお世辞をいうわけでもなく「この発音は、こうすればもっとよくなると思うよ」とちゃんと伝えてくれました。
それは私のことを想って言ってくれているんだとはっきり分かりました。でもその時の私は、なんだか心がモヤモヤしてしまった。
指摘をしてもらったことに対してモヤモヤしたのではなく、自分の発音の悪さが許せなかった。完璧ではない自分が許せなかった。その人の前でカッコ悪い自分を見せていることが耐えられなかった。
必死になってネガティヴな感情を抑えていると、ふと、
「あ、私は今、弱い自分を見せているのが嫌なんだ」
そんな思いに気づきました。そして、私は初めて自分が無理して「いい子」で居続けていたこと、自分で自分に制限をかけていたことを本当の意味で実感しました。
「そうか、私は弱さを人前で出すことが怖かったんだ」って妙に納得してしまった。そして、この時に私の弱さをその人の前で見せられたことが、自分の中にあった足枷を外す小さな一歩になったような気がしました。
『自分を許す』
このワードは私の中で最近特に気になっていたものでした。でも『自分を許す』って言葉の本当の意味までは理解できていなかった。
今の私なら、なんとなくだけれどその意味が分かる気がします。
『自分を許す』って自分にも弱いところがあるって気づいてあげること、それを否定せずにまるっと受け入れてあげること。
そしてそれができたら、信頼できる人(この『信頼できる』人ってところが大事)に自分の弱さをちょっとずつでいいから見せてみる。伝えてみる。「私はこれが苦手なの」「私はあれにちょっとウッ…ってなるの」と。
そうしたら、「だから、あなたに『頼って』もいいかな」につながる。
自分の弱さを知って受け入れてあげると、自然と人に頼ることができるようになるのかもしれない。そう思うようになりました。
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完璧な人ってこの世界にはいない。誰でも苦手なもの、受け付けないもの、人に見せたくないことを持っている。
それら全てを人に見せる必要はないと思うし、周りの人全員に伝える必要もない。
でも自分自身は、「自分の弱さ」を確認してあげる。そして「そうか〜、私はこれが苦手なんだね」って声をかけてあげる。
それだけでも自分を許してあげることになると思うし、自分にやさしくなれると思うんです。
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弱い自分と向き合うって、すごくしんどいことだと思います。できれば目を背けたい。人の前ではいい自分を見せたいって感じることは自然なことなんだろうなと。
でも、弱い自分と向き合うことがちょっとだけでもできるようになると、スッと肩の力が抜ける感覚がある。
一人でなんでもやろうとしなくていいんだ、私は苦手なものがあってもいいんだ、そんな自分がいてもいいしそれを見せてもいいんだ、私は私ができることをすればいいんだ。
今の私なら、自分の首を絞めていた自分の手をそっと緩めて、前よりほんの少しだけ私自身にやさしい言葉をかけてあげられるかもしれない。そんな気がしています。