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アイデンティティーの話

私はアイデンティティーは存在しないと思っている。ここで私が言うアイデンティティーとは、ある個人の同一性を絶対的に定義できる「何か」と私は考える。一般的にその「何か」は、名前、国籍、人種、民族、性別、ジェンダー、年齢、身体的特徴などを指すことが多いだろう。そして、人間はそれらの要素を複合的に組み合わせながら自己というものを構築していく。しかし、それらは私が私であるということを絶対的に証明できるものでは無いのだ。なぜならば、先に挙げたような要素は流動的であり、常に比較の対象としての「他」を要求する相対的なものだからだ。

では、それらの要素はどのように相対的なのだろうか。まず前提として私はこの世界にハッキリと線を引けるような秩序は存在しないと思っている。例えば、国家の体制を為す根幹的な要素の一つに領土というものがある。まず、領土というものは、自国以外の国や地域があるから成り立つ相対的な概念だが。領土は時にその姿を変えるし、国境を跨いでもハッキリとした断絶が起きているというわけでも無く、人、物、言葉、文化、金が絶えず行きかい、相互に浸潤し合っている。つまり、領土は国家と、その連なりである国際社会を制度的に運営して行く時のみ有効な概念であるということだ。これは、先に挙げたそのほかの要素にも当てはまる考え方だ。人間は言葉を使って物事を白か黒かと秩序付けようとするが、実際には世界はグラデーションを為すように緩やかに混ざり合っているのではないか。

一方で個人の同一性を証明できる遺伝子という例外的な要素がある。私たちが持っている遺伝子情報は一人一人に固有のもので、この世に同じものは二つとしてない。しかし、自分という人間のアイデンティティーの同一性について考えるときに、自分の遺伝子情報を引き合いに出すのはあまり一般的ではないし、社会的な意義も薄い。そもそも、遺伝子はオリジナル無きオリジナルのようなもので、元をたどれば減数分裂した父親と母親の生殖細胞(精子と卵子)が結合して受精卵(23対の染色体をもつ単一の細胞)が作られ、そこから細胞分裂を繰り返すことによって人間の体は作られる。さらに、父親と母親の生殖細胞自体もそれぞれの父方と母方、双方から受け継いだ染色体を交叉で混ぜ合わせることによって作られている。このように、あなたという存在は遺伝子的な視点で考えると確かに「あなた」ではあるが、そもそも親以前の遺伝子のモザイクで作られたものに過ぎない。これを絶対的な同一性と呼べるのかは多少疑問が残る。

また、考えてみて欲しいのだが。もし、世界に人間が自分一人しか存在していなかったとしたら、あなたは自分という人間を定義することが出来るだろうか?少なくとも私はできないと思う。なぜなら、比較と評価を共依存的に与え合う他者の存在失くして、属性にもとづくアイデンティティーなんてものは生まれ得ないからだ。まず、そんなこと考える必要すら無い。このように、本質的にアイデンティティーは相対的な思考によって求められる。

そもそも、なぜ私がこんなことを考えるようになったかというと、親の仕事の都合で子供の時から海外の国々を転々としてきたことと関係があると思う。異なる環境に生活を移す過程で、私は私という人間の属性が環境によって全く異なる扱いを受けることに気が付いた。例えば、日本にいるとき私は自分のことを日本人だとも、アジア人だとも感じはしない。なぜなら、周りはほとんどが日本人だし、それが普通すぎて私のアジアの日本という国の人間という属性が透明化しているからだ。しかし、外国に行けば様々な場面で自分は日本人である、アジア人であるという事実を突きつけられる。そして、その外部からの社会的な評価を材料に私はその都度、異なる自己を内面化し、これに従って行動してきたように思う。もっと分かりやすく言うと、家族と過ごしている時の自分、友達と過ごしているときの自分、恋人と過ごしている時の自分、先生と過ごしている時の自分、他人と過ごしている時の自分。みんな、それぞれの場面で異なる自己を使いわけていないだろうか。それは、外部からの自分へのそれぞれの評価を内面化し、その反応として異なる自己像を興していることに他ならない。

だから、私は一般的に語られているアイデンティティーは表面上の属性に過ぎず、ある人の本質について語ることができる要素では無いと思っている。そういう意味で人間の存在はミラーボールのように無数の面を持った一つの塊のようだと感じる。

これは私が写真で作品を作り始めたころから考えてきたことだ。そして、一昔前の私ならここで、文を書くのをやめていただろう。「アイデンティティーなんてものは本質的に存在しません。おわり。」しかし、ここで話をやめてしまうと、社会で実際に起きていることを無視しすぎている気がするのだ。本当に大事なのは、「じゃあ、なぜ人間はアイデンティティーを必要とするのか?」という問題提起なのかもしれない。そして、その問題に対する答えは「人間は他者との繋がりの中でしか生きていけない生き物だから」ということなのだと思う。が、もう疲れたのでここで書くのを一旦辞める。

                       


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