死者との対話
知り合いが死んでしまうとやはり堪える。
寿命で亡くなった以外の死はあまりに悲しい。
寿命だって寂しいのに。
死んでしまったらその時が、
その人の寿命だなんて聞く。
本当だろうか。
自ら命を絶ったあいつやあの子もだろうか。
知り合いの自死は、本当に辛く悲しいよ。
でもこれは何が悲しいんだろう。
もう会う事もなかったかもしれないのに。
同じコミュニティを抜けてから、
寄り合う関係でもなかったのに。
顔を知って言葉を交わして人生が交差した期間があるから?もしくはその人間の人生が絶えてしまったことだろうか。その家族が悲しむからだろうか。その人が得る予定だった未来が失われたからだろうか。きっとそのすべてはどれも胸を刺すに足りるものであるが、自死というものは「死ぬほどの苦しみを味わっていた」という想像が乗る。それがたぶん最も重い鉛になる。
なんだろうね。何が辛かっただろうね。
こういった時間は
何をどうしても推測の域を出ないものだが
人伝にしか近況を聞かない仲であれば、
それはさらに無益さを増すようで
こんな思考の渦も文章も、
深い霧を突き進むような事だ。
噂は飛び交う。
誰もが若干の好奇を隠せていない。
ここ数年のあの子は見るたびに顔が変わっていった。それを人に知られる事も構わないという態度に見えていた。どこまで変わっていくのだろうと、時々写真を見ながら思っていた。それでも変わらない面影があった。それはあの子にとって絶望と希望、どちらだっただろう。そこまで自分を変えたいと願う事は、やはりどこかで辟易とする自分や拭い去りたいものを個の内に見出していたのだろうか。
男と揉めていたと聞いた。
私の知る限り嫌な男だ。
水商売の従業員として従事しておきながら
店の女二人に手を出した。しかも同時進行で。
相手は私の抱えていた女たちだ。
女たちは仲間、部下であり店にとっては商品だ。私は店の女でありながら、店の責任者だった。
許せなかった。そんな事が夜の世界で許されるはずはなかった。私は部下の手前大きく動くことは出来なかったが、結局話はボスにすぐに伝わった。目撃者が出た。それは時間の問題だった。
男はボコボコに殴られたと聞いた。当たり前のことだ、私はその話に全く胸は痛まなかった。
雀荘上がりで最初は休憩時間に店に通っていたがこちらへ傾くように潜り込みいつしか従事しはじめた男が、いつも気軽に店終わりの女たちに話しかける様子を私は端から気に入っていなかった。無銭で女たちの優しさを味わう卑しく恥ずかしい男と思っていた。そんな卑しい心根だから大事な商品に手を出して価値を下げるんだ。
夜の世界は、他所の店ならもっと闇深いバックが着いている。女に手を出せば半殺しにあってもおかしくはない。私のボスのしたことは、まだ健全だとさえ思った。うちにはそういった類のバックがついていない。だけど女に手を出したことで男に多額の罰金が発生した。それさえ当然と思った。その女二人が恋愛でもしも商品として成り立たなくなったら、その損益はもっと多大に及ぶからだ。そのくらい女に手を出すのはこの世界でご法度だ。その位以前から知っていたはずだ。舐めた事をするからそんな事になるのだと、「やっと思い知るのか」とさえ思っていた。
一人の女はすぐに手を引いた。
その女と仲良くしていた私はその子がそんな男に引っ張られず安心した。私だって、可愛がっている女たちに手を出され、誑かされ、内心では怒りの炎を抱えていた。
夜の女は優しい。
皆誤解されがちであるが、本当に優しい。
男を許して、受け入れてしまう。
時に騙され、身体も生活も蝕まれれる。
「そんな男はやめろ」「避妊をしろ」と
女たちに当時何度言ったかわからない。
言いながら少しずつ
自分も傷ついていたような気が、今だからする。
私の女たちに手を出し、時に騙し、
孕ませる男が許せなかった。働かせては、
毎日のように金をむしり取る男もいた。
そんな子達を私の力だけで守る事は不可能だった。出来ることは話を聞く事やそばにいる事だった。自分の無力さを知った。そんな事が何回もあった。こんな感情や経験を20代で経るとは思わなかった。江戸時代の女郎宿や遊女屋を抱えたらこんな気分かと思う時もあった。
私が今でもこの時の仲間や女たちとつるんでいるのは、「ここにいないと分からないこと」を沢山共有してきたからではないかとふと思う。
今思うと数奇な経験を何度もした。
自分が他の同世代の女とどこか違う気がするのも
当時突然親友と気が合わなくなってしまった事も、致し方ないような気もする。私の潜ったその日々は間違いなく修羅だったと思うからだ。
その後、もう一人の女、
まさに今回この世を去ったあの子は
その男と付き合ったと聞いた。
自分も罰を受けて店にお金を払うからと。
他の女にも手を出していたと知ったのに
その男に拘るなんて、その男の何がそこまでいいのかと思って驚嘆としたが、そうか純愛が始まったのか、なんて思っていた。
数ヶ月後、その男は店を飛んだ。
多額の罰金を残したまま飛んだ。
踏ん張れば返せない金額でもないのに、なんて意気地がないのかと思ったのを覚えている。
そんな覚悟で女たちに手を出したのか。
ふざけるなよ。
なのにあの子はその男に着いていった。
また隣町の店で働き始めたと聞いた。
その男も、同じ店かは定かではないが、
同じ町で働いていると聞いた。
女も男も水商売を続けていた。
たやすく抜け出せない業の入りを感じたが幸せならそれでもいいのかと思った。
その頃私は店を離れ、
夜の世界からも離れていた。
仲の良かった女たちや仲間以外とは連絡も取っていなかった。私も元の環境とはなるべく身を離したかった。
それでもその女と男の話は時々耳にしていた。まだ一緒にいるだとか、ついに離れただとか。
終わったものかと思っていたが、噂によると
死の間際までもまだ、その男とは諸々があったらしい。関係や遺恨、聞いた限りではお金も絡んでいると。その男のために少し際どい接客の店に変えたとも聞いた。
何があったんだろうな。何があったんだ。
その死の淵で、何を思っていた。
何を見ていた。どんな日々だったんだ。
何に愛を感じていた。
何を日々としていた。
どんな感情を、喜びや悲しみとしていた。
今こうやって思い巡らせる行為そのものが、愛情なのか好奇なのか、自分でも判断がつかないよ。
どちらでもあるような気がするんだ。ただ無関心でないことだけが救いにも思う。
その話の全容は、今でも関りがある女から聞いた。SNSで皆が意味深な投稿をしていると。
「また来世でね」
「60年待っててね」
「大好きだよ」
当時私のいた店で働いていた女たちがあの子とのツーショットと何行かのお気持ちを載せているのを見せられた。
「これ、死んだってこと?」
「それにしては、、、
なんでこんな言葉が軽いんだ?」
にわかに信じられず、
「そんなまさか」と思っていたけれど
「ゆっくり休んでね」
「顔が見れてよかった」
ああ、もう。もう確実だと、
続くSNSの投稿の何個目かで確信をした。
何があったんだ。
何が苦しかった。
何故死んだ。
そんな事を、全てにおいて見当も付かないような私がこんな事を思う事さえ正しくない気がした。
何が辛かった、顔を沢山変えていたことは関係があるのか、それともあの男なのか。
お前の友人はなんでみんな、
こんなに軽い言葉を載せ続けている
あの子たちはあれからお前と、
あの日々の後から、本当に友人になったのか。
それともあの日々の延長を、
友情と呼んでいるだけなのか。
本当に悲しんでいる人なんて、
ごく僅かのように見えた
「大好きだよ」という言葉を載せて、
ツーショットの写真が最近であればあるほど
死者と自分が近親である証のような、
ステータスの誇示を感じた。
周りで人が亡くなった事が皆初めてなのか、そんなイベントに少し心浮ついているようにさえ見えた。その選んだツーショットで、投稿者本人の映りよりもお前の顔が良く映る写真を優先して選んでくれた女は一体何人いる?この投稿している女たちは本当にお前の命が消えて悲しんでいると思うか?みんなイベントにでもいった帰りみたいに揃って投稿しているじゃないか。誰が一番「エモい」言葉を書けるか争うみたいに。
こんな自分の心も嫌だった。
すべてが悲しく思えた。
涙が何度か目頭を濡らしたけれど、
目をつむって飲み込んだ。
流してしまうとこの感情が
すべて美化されてしまいそうに思える。
嗚呼、こんな時まで心を空け広げて
少しの嘘もつかない事を美学とは思わないが
どうしても卑怯な気がするから言ってもいいか
私はお前の事が、別に好きではなかったんだ。
時々嘘をついたり、
こちらを騙そうとする目が嫌だったんだ。
あさましさや卑しさ、
小狡さを感じてしまっていたんだ。
私は純真さや誠実さを
女たちにも求めてしまった。
お前の媚びるような接客も嫌だったんだ。
人の客を取ろうとするような素振りとか。
都合が悪くなると、
すぐに被害者の立場を取るところとか。
色んなその様が嫌だったんだよ。
それでも店の女だから
一定に優しくはしていたけれど
私に特に好かれている訳ではない事は、
きっと感じていただろうな。
お互いに噂しか知らなかったろう。
辞めたその後なんて。
お前も別に私を好きではなかっただろう。
特に嫌ってはいなくとも。
SNSも繋がろうとしなかったし、
連絡も取る理由もなかった。
どこかですれ違っても、
声をかけたかもわからない。お互いに。
でも、それでも
何で死んだ。なんでだよ。
悲しいんだよやっぱり。
どんなに顔を変えても、ダメな男を愛しても、
どんどん際どい店で働くようになっても
どんな風でも、
その噂がこの耳に届いているほうがよかったよ。
私、そんなに優しくはなれなかったけど
「みんな幸せでね」と、
心から本当に思う瞬間の方が多かった。
仲の良い気の知れた女だけでなく、
本当に、知っている請け負った女が全員
あの世界から離れるまで、
傍に居ようかと思う時も多かったんだ。
あの世界で全員を、
見送ろうかと何度も悩んだよ。
だけど私の時間だって止まらないから。
何歳になってもあそこにいるなんて
出来なかった。
結局限られた人数、
この手に収まるような人数だけ
連絡を取り続けて見守っているけれど
もっとちゃんと、愛をやれていたらな。
あの世界でもその後でも
もっと色んな面倒を、見れたら良かったのかな。
でも分かっている。
私が何をしても
別にお前の人生が変わらない事も。
そんな少しの悔いも
自分の気休めでしかない事も。
これもただ
今自分がそう思いたいだけという事も。
無力と決めつけて何もしなかった事を
肯定しているに過ぎない。
あの日から、
私もあの子とのツーショットを時々眺めている。
動画なんかも残っている。
画面の中のあの子が喋る。
あの時どんな事を考えてた?
死ぬ前は何を思った?
誕生日も覚えていないのに、
お前の死んだ日を覚えていていいか
時々花を手向けてもいいか
その名前を忘れずにいてもいいか
辛くても悲しくても
それを全部恨み節にして、
生きてくれれば良かったのに
そんな勝手な事を思う
自由になって、解放されて
今全てが楽になっているかもしれないのに
そもそも
十分に足りていて、満たされていて
幸せであったかもしれないのに
勝手に幸せだと決めつける事と
不幸だと決めつける事
どっちが残酷な事なのだろう
どう思われてたかったの
死んだ後、みんなにさ
それがわかるなら、その通りにするのに
忘れたほうがいい?
覚えていてほしい?
幸せだったと思われたい?
不幸だったと憐れまれたい?
全部わからない
わからないよ、もう一月が経つのに
綺麗事だけは言わないって決めたんだ
綺麗事を何も言わず
ただいまの気持ちを、このひと月の気持ちを
ちゃんと覚えていようと思う
だから書いたよ
最後に一つだけ我儘を言う
いつか夢に出てきてくれ
その時、私は何の話だって聞きたい