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依存症は病気なんだ…って、時々忘れてしまっている件
そう、依存症は病気なんですよね・・・
心の家路さんありがとうございます
もう、タイトルの通り!私の事です。
いつものようにふわ〜っと生きていたところに、以下のツイートが…。
花粉症の人を見ているとよく分かります。なりたくてなったわけじゃない。アディクションも同じです。
— 心の家路(ひいらぎ) (@kokoro_no_ieji) March 3, 2023
はっとしました。
思い出させてくれてありがとうございます。
あわせて、なんで花粉症と同じ…って思えなくなってしまうのか、少し考察してみました。
1 慢性的だから
あまりに暮らしに根付きすぎていて、急性疾患のようなイベント感とは違いますよね。それが私の感覚を麻痺させているのかもしれません。
2 酩酊状態の時「つらそう…」より、「私がつらい」に気持ちが支配されてしまうから
通じない会話、いつでも暴言が出てきそうな緊迫感、荒れた室内…それらを目の当たりにすると、自分の気持ちが硬直しはじめるのが分かります。そんな時、相手を思いやれるような心のスペースがもうくなってしまうんですよね。ゆとりがないと、他の人の背景を慮ることができなくなります。
3 依存症の方、ご自身の対策が見えずらい
花粉症の方って、薬をのんだり、防護メガネやマスクしたり、食事に気を配るなど、対策なさっている様子が見えやすい。なんとか、取り組んでらっしゃるんだなーというか。
以下は我が家に限った一例報告ですが、そういった取り組みが見えないんです。。。見せないようにしているのかもしれないし、見せられないところが彼の困難さなのかもしれないのですが、わかりません。
じゃあどうするか…
ですが、
まず私を正気に戻してくれそうなツイートをなさっている方をフォローしていた自分を褒めました。私、ありがとう。
twitterに限らず、私を正気に戻してくれるしかけを、暮らしのあちこちに仕掛けておくのは良いかもと思いました。
平安の祈りを部屋のあちこちに貼っておきたい…けどまだそこまで踏み切れない。。。
せめてスマホの待ち受けにしてみようかな。
神様 私にお与え下さい
自分に変えられないものを 受け入れる落ち着きを!
変えられるものは、 変えてゆく勇気を!
そして、ニつのものを 見分ける賢さを!
アラノンの本を毎日読む…もきっと絶対良いのですが、なかなか毎日が難しく、時々になってしまってます。(どうにか習慣化しよう・・・。)
どんな時も人を思いやれる人間性が私の中に育つにはまだ時間がかかりそうです。
しばらくは工夫でなんとか乗り切っていきたいと思います。