「言霊ってあるから」というフレーズを初めて聞いたのは、高3の時に行った勉強合宿の授業中だったと思う。
大学は全落ちしたけど、割と信じてはいる。声に出したら確かに叶いそうだし、達成したい目標とかだったら自分を鼓舞しているようにもなるし。いつだって私は都合のいい考えをする人間だ。
中3の時、大好きだった部活の顧問が学校を辞めてしまった。年度末の終業式、4月から高校生になる浮かれていた私は、突然の発表にただただ涙を流すしかなかった。その時に最後の挨拶をした先生は、二つの言葉を私たちに残してくれたけれど、私は片方しか覚えていない。
「迷ったら茨の道を進め」
あの日を境に、何かあればこの言葉を心の中で握りしめて今日まで生きてきた。
浪人した時、この言葉がなかったら多分挫けていたと思うし、大体の選択はこれに裏付けられているから後悔していない。
だから今回も、そうするつもりで、自分のためにコンクールに出場することを決めた。
コンクールに出るだけあって、今までにないぐらい練習した。練習のせいで疲れるのも初めてだったし、何ヶ月も同じ曲の同じフレーズを吹くのは、途中で飽きた。何回やってもできないところは嫌になって投げ出したくなる。
それでもやっぱり、都大会まで出たかった理由はある。
まだ1年生で、大学生は夢を見られるほど可能性が無限大で楽しいことばかりだと思っていた2年前の夏、21年間の人生で一番大事だと思える友人がこう言っていた。
『毎年都大会には出てるけど、金賞取ったのは4年前だから、一番手の届きそうで届かない金賞を、私は獲りたい』
その言葉は決して忘れちゃいけないと思って、今年の夏、コンクールメンバーになった。多分適任はもっといたんだけど、それでも乗せてくれた同期には感謝しかない。申し訳ないなとも思う。
音楽をやっている人間にとって、夏という季節はそれぞれに苦い思い出を内包しているんじゃないかと思う.でも初めてのコンクールだった私は、同期が練習中に泣いていても、その辛さが分からなかった。その時、自分が、大好きな人に家庭環境や母との関係による辛さを分かってもらえなかったことを思い出して、自分も一緒じゃん、と自身の想像力の乏しさに悲しくなってしまった。私も知らない間に人を傷つけてる。
お盆が明けた高2の夏、お昼休憩の後に先輩に叱られ、同期が目に溢れそうなほど涙を溜めながら「部活、やめる」と私に言った。あの時の彼女の顔も、拭うことのなかった涙の跡も、煩いセミの合唱も、下手に言葉をかけられなかった私の後ろ髪を伝う嫌な汗も、全部忘れられない。毎年8月が来ると、呪いみたいに思い出してしまう。あの時の絶対に戻りたくない瞬間に引き戻されることが、この期間は沢山あった。
あれから5年経ったと思うと早すぎるけれど、それ以上に辛い思いや悲しいことは沢山あった。それなのに、2016年8月21日の出来事はとても後味が悪い。苦虫を噛み潰す、ってこういう時に使うんだろうなと思う。
でもきっと私だけじゃない、いま私の前や後ろ、隣で同じ曲を奏でるメンバーはみんな、多かれ少なかれこういう思い出があると思う。だから想像するし、寄り添ってみたいと思うし、たまに失敗する。
演奏している時に同じ方向を向いていて、一つの目標に突き進むがむしゃらさじゃない。もう大人だから、割り切らなきゃいけないいろんなことをかなぐり捨てたり、でもやっぱり無視できなくて剥き出しにしちゃう子供っぽさが表れるのが、吹奏楽の面白さだと思う。音って割と本性出るなって。
歩み寄れたかもと思っても、わたしには尖りすぎた言葉を投げかけた同期、そのリスクを背負いながらも真正面から寄り添ってくれた友人、言葉はかけずとも多分思ってることはお互いわかっていたと思う親友。このコンクール期間は、人と出会えたことより、人の深淵に触れられたことが一番の収穫だったと思う。もしわたしが高校時代にコンクールを経験していたとしても、絶対に得られなかったものだった。
同じ舞台に乗った人たちだけじゃない。8月、予選前にどうしても耐えれなくなったから、高校の同期に電話した。幸いすぐ出てくれて、ちょっと死のうかなとか思ってたから命拾いした。高校の部活は、今いるところとはかけ離れるぐらい緩くて、コンクールなんて縁もなかったし、今でこそ「よくあんな小さなコミュニティで悩んで泣いて怒ったなあ」と笑えるけれど、あの時のわたしたちにしか分からないこともある。だから電話した。外で電話したから蝉の音は相変わらずうるさかったけど、茹る暑さに首筋がひんやりする感じは心地よかった。過去を綺麗な思い出にするのも好きじゃないけど、ちょっとだけでも柵を解けた気がする。
コンクールが終わったのはもう随分前だけど、それでも今書こうと思ったのは、自分が音楽と真正面から向き合う時間がもうすぐ終わるって実感がやっと湧いてきたから。まだ続けるのかどうかも分からないけど、その決断をするのはまだ早いなと思う。でももう、茨の道を進むほど自分を殺さなくてもいいんじゃないかとも思うし、まだまだ背伸びしたいとも思う。
結局、わたしにとっての茨ってなんなんだろう。演奏における技術力向上なのか、家庭環境からの脱却なのか、大事だと思う人を守ることなのか。都合がいいから何でもかんでも茨にしてしまっているのかな。きっともう、5年前のことを私の茨にするのは終わりにしなきゃいけないんだと思う。あの時は何も声をかけられなくて、抱きしめもできなかった。きっと1人で生きられるよね。だから次の茨を探します。ごめんね。
引退まであと3ヶ月。
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