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卒業

大学を卒業しました。
4年間って超長くてあっという間だろうな〜と思ってたら、文字通りそんな感じでした。本当はあと2年ぐらい学生の身分にかまけて、目一杯遊びたかったけれど、私は今生き急いでいるので4年で卒業します(偉そうに書いていますが、4年秋学期は26単位残ってて本当に死にそうでした)。

まず初めに、何も考えずに好きな領域へ飛び込めるような環境を、22年間も不自由なく整えてくれた両親に感謝です。でもできれば門限を少し伸ばしてほしいです。

多分、いちばん「勉強したい!」と思って自分から勉強した4年間だったと思います。というか、こんなダメダメな私の唯一の取り柄は、「巡り合わせがとっても上手なこと」だとこの4年間で自覚しました。運がいいとかいうレベルじゃなくて、人や環境との巡り合わせが上手すぎて、なんだかなるべくしてこうなったんだなと素直に思います。
私がいた学科は芸術系の学科なんですが、そもそもなぜこの学科に入学したんだろうと思い返した時、出発点は「美術館で仕事をしたいから」でした。あの時の私は印象派絵画と現代美術が大好きで、絶対に学芸員になるんだと思ってたし、美術を専攻する気満々だったと思います。2年ぐらい前の自分もそんなこと書いていました。

2年の頃に現代美術とキュレーションの基礎演習(プレゼミみたいなやつ)を受講して、キュレーションが楽しくてしょうがなくて、それ以外にも他学部の美術の授業とか沢山受けてて、ああもう自分はこれを仕事にしていこう、美術って本当に楽しい!CANMAKE TOKYO❣️と思ってました。なのに、3年次でゼミを選ぶとき、めちゃくちゃいいなって思ってたゼミが両方とも無くなってました(本当に可哀想)。残ってる候補は映画音響のゼミだけでしたが、この時の私は映画というものが大嫌いでした。
なぜなら1年の入門演習で初めてやった『ジョーズ』の作品分析で「映画ってこんなめんどくさいの?!?!」って辟易し、評価基準が厳しすぎるアメリカ映画論で単位を落とした時に「映画なんて嫌いだ!滅びろ!」と決別したからです。今思えば『ジョーズ』はただショット数数えるだけの作品分析だったから、単にめんどくさがりが出てるだけ
映画音響のプレゼミも最初は楽しかったけど、途中からすごく内容が難しくて若干挫折してたのもある。先生が『天空の城ラピュタ』を分析する回は、あまりにも着眼点や解説が細かい且つ理屈っぽくて辟易してました。
何より映画は長いです。当たり前だけど、2時間とかあるから、その2時間わたしはずっとスクリーンを見つめないといけなくて、そんなことしてたら映画の映像と音響に私の全部を支配されてしまうような気がするのです。私はあんまり頭が良くないからこそ、そんなことされたらたくさん映画に振り回されて、私がダメになってしまうと思ってました。

それでも映画音響のゼミに入った理由はただ一つ、「先生の顔がめちゃくちゃカッコいい(つまり毎週ゼミに行きたくなるだろうという打算)から」というだけで、さすがにそれは志望理由書に書かなかったけど、今読んでもあのポンコツ志望理由書で入れてくれた先生はめちゃくちゃ優しいわけであります(後々聞いたら「定員割れしてたからですよ」とのこと)。ゼミの初回、自己紹介するときに「映画が嫌いです」と言い放ち、ほぼ全員に宣戦布告みたいなことをした大型新人でした。

春学期に発表した『愛がなんだ』の作品分析は、見返したくないほどヤバすぎる発表で、先生からのフィードバック一言目から打ちのめされてました。あの頃ずっと心の中で「だから映画嫌いなんだよ…」しか思ってなかったと思う(本当に申し訳ない)。ゼミ入ったからには卒論を書かなきゃいけないし、それなりに映画は観なきゃいけないかあ…とダラダラ過ごしていて、たまたま行ったのが早稲田松竹で上映していた『あのこは貴族』でした。人生で2回目の早稲田松竹だったかな。なんで観に行ったのかもどういう経緯で観に行ったのかも全く覚えてないけど、本当に人生でいちばん大好きな映画です。泣きじゃくりながら帰ったりしなかったし、感傷に耽ることもなかったけど、1人で映画を観ることの稀有さを初めて実感した日でした。映画を鑑賞することそのものが映画の醍醐味や感動じゃなくて、映画を観たその日1日の暮らしが、もしかすると大切なのかもって。少し映画のことを見直した日でした。
後期の発表はもちろん『あのこは貴族』の作品分析で、発表準備のためにリサーチしていると必然的に「シスターフッド」という単語と巡り合うわけです。フェミニズムとの出会いは多分そこだったと思う。先生にその着眼点を褒めてもらい(優しい)シスターフッドの研究は面白いんじゃないかと言ってもらい(優しい)、本当に色々とんとん拍子で進んでいました。それだけじゃなくて、勉強したい!という気持ちがどんどん連鎖していって、大学入る前(浪人していた時)に勉強したいと思っていた事とは全く違うものにのめり込んでいて。4年になってからはたくさん映画を見ました。映画が大好きな同期が私のことを心配して映画観に行くの誘ってくれたり、おすすめの映画を教えてくれたり。先生が喫煙所で解説してくれたりも。お気に入りの映画も少しずつ増えていったし、自分の経験を言葉で綴る力もここで培えたと思います。
その点で言うと、論を立てる力や言葉を理解する力は間違いなく卒論執筆を通してだったな。それは前に詳しく書いたので省く


あと何より嬉しかったのは、4年の後期でアメリカ映画論の単位がとれたこと。しかもS評価(うちの大学では最高評価)で、先生が期末レポートをたくさん褒めてくれました。1年の時に落としたアメリカ映画論とは先生が変わっていたのもあるけど、特にこの1年間で映画を観る力がちゃんとついたんだ、って実感できて嬉しかったなあ

人生最後のレポートも、ジェンダー論で書いた 今読んだら詰め甘すぎな気もしますが、伸び代があるということで

何のための4年間だったんだろうと思いを馳せた時、きっと私自身が「強くなるため」だったのだろうと思います。そのきっかけを与えてくれたのは、私の好きな人たちの口から出てくる、不覚にも私を傷つける言葉たちでした。私は頭が悪いので、そういう言葉に刺されそうになった時に太刀打ちできる術を知りませんでした。
分からない、だから怖くて泣いてしまうばかりだった自分が、自分の力だけで生きていくために、少しずつ修行を重ねていったみたいな感じなのかな。今なら少し震えてでも、そういう言葉や態度に立ち向かえると思います。
特にゼミの先生は、私のこういう「これが嫌だった!無理!ひどい!」みたいな愚痴を半分苦笑いで受け止めてくれて、否定はせずに「世の中にはこういう考え方があるんですよ」ということを柔らかく提示してくれる賢い人でした。こういう大人が、自分の人生の分かれ道になりそうなタイミングで登場してくれて、本当にありがたいです。

喫煙所から見える景色
毎週決まった時間に、先生と一服してた
煙草は悪かもしれないけど、喫煙所だからこそ
生まれるコミュニケーションもあるよね



卒業した身として偉そうに言うなら、ちょっと強引にでも先生と仲良くしてみたり、気になる分野や領域・テーマがあるなら検索だけでもいいから調べてみたり、分からないことがあるなら恐れずに質問してみたり、そういうことをしてみるべきだと思います。勉強するのに年齢なんて関係ないかもしれないけど、勉強にこんなにも沢山時間が割けるのは大学生が最後のチャンスです。


それを踏まえた上で、やっぱり私はこれからも、能動的に傷つきながら学んでいきたいのです。恐れずに挑戦してみたい。傷つくことを恐れない勇気みたいなものは、やはりこの学科じゃなかったら学ぶことはできなかったと思うので、4年前にここを選んだ自分の選択は大正解でした。ほんとに。

まだまだやりたいことは沢山あります。そのために、まずは4月からの社会人生活を頑張ること、それと並行しながら、映画を観ることと本を読むことは細々でもいいから続けていきたいです。まだ「映画を勉強したい」って気持ちがあったら、いつか修士に進みたいと、現時点では思っています。いやでも気変わるかもしれないから、あんま強めには言わないでおきます

とってもありがたい4年間でした!ありがとうございました!明日からの社会人生活、ほどほどに頑張っていきます

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