鳴く猫は鼠を取らぬ、私は取りたいけど
最近、やることが何もない。
嘘、あるんだけど、時間を膨大に持て余している。サークルを引退してからあんなに欲してた「時間」を得てもなお、すごくすごく単調な毎日を送っている。
私は言葉に生かされている。ここに生を受けた人間はみんな等しくそうなんだけど、その実感がすごくて。春休み真っ只中の私は、バイトに行くか、家にいるか。この2択しかないわけで、後者の場合は周りに言葉で存在認識をしてくれる人がいないから、一人でよく喋るか、ラジオを流す。沈黙が怖い。言葉は聞き取れないのに。
バイトに行っても、3つ掛け持ちしているうちで、コミュニケーションをまともに取るのは塾の事務バイトしかない。そのバイトも、もう今月末で一区切りつく。
事務バイトはやっているうちに思い入れがすっごく強くなった。職場の人間関係は俯瞰してみると、最悪。正直、塾で働く人間の気がしれないぐらい。でも、1年と半分ぐらい働いて、人の個性が個性として綺麗に現れる職場なのはすごくわかった。個性がはっきりしている人は、好き。
あと、生徒がすごく真っ白だなって思う。あどけなくて、少し背伸びをしていて、恥ずかしがっていて。そんな子たちと言葉を交わすキャッチボールがたまらなく楽しい。
本当に先週ぐらいまでは、「こんなバイト、さっさと辞めてやる!」って思ってたのに、いざあと1回だけってなったら、すごく寂しくなってきた。職場に思い入れがあるのか分からないんだけど、寂しい。
ひとつだけ、すごくすごく忘れられない景色があって。いつもみたいに一人で少しだけ薄暗い駅までの道を歩いてたら、小さな煙草屋のそばにある喫煙所で、社会人講師が煙草を吸ってたの。その光景が今まで見た中でベスト10には入るぐらいに綺麗だったと思う。これから自分もその世界に飛び込めるように、と思って煙草を持ち歩くようになった。私にとってはパスポートみたいなものですね。煙草さえあれば大人にもなれるし、死ねるし。
本当はバイト先から駅までの一番近いルートを知ってるけど、1分ぐらいの時短のためだけに生き急ぐことが勿体無いなって思うから、わざと遠回りする。空気がしんと冷えるこの時期に歩くのはすごく好き。1人で何かすることも、最近慣れてきた。多分。でも寂しいからよく人に連絡してしまう。
多分、周りから自然と連絡もらえる人って言葉が少ないのかなと思う、少ないけど、自分で補えてるというか満ち足りてるというか。私にはできないからすごく羨ましいし、盗みたい。でもできない。それで結局寂しくなって、すぐ人に連絡してしまう。でも本当に空いたい人や、連絡が欲しい人には自分から踏み込めなくて、その意気地なしな自分に嫌になる。なかったことにしてしまう。
これが22歳。つい最近まで自分は20歳だと思ってた。
そういえば、バイト中に中学生の女の子から「先生何歳?大学生なの?大学生って遊ぶ時何するの?」ときらっきらした目で質問攻めに遭ったことがあったような。私は先生じゃなくて事務のお姉さんなんだよ、とどうでもいい訂正をしながら、彼女が初めて会う他人の大人はこれでいいのか、と不安になりながら、これまで私が会ってきた大人ってみんなしてこういう気持ちだったのか、と思った。大人って仕事は大変だ。子供は何にも知らないから、何でも知ってると思って委ねちゃうんだよね。君たちから学ぶことの方が多いのにね。
私はこの歳になっても知らないことばかりで何にも追いつけないから、毎日映画を見ています。世の中には悪い大人ばっかりで辟易するけど、私も多分誰かにとっての悪役なので、歯を食いしばって耐えるしかない。みんなも早く、自分にぴったりな先生に出会えると良いね、私は出会えて気づかせてもらえたから、卒業できそうです。多分。
水曜でちょっと楽できるバイトも最後だと思うと、寂しい。少し浮いた自分を受け入れてくれてたような街も毎日のように歩かないのも、やっぱり寂しいから、明日だけはうんと遠回りして帰ろうと思う。
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