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休職日記

9月から、復職しました。
6月からまるっと3ヶ月ぐらい、たくさん休みました。

まずは、みんなにありがとうと言ってまわりたいです。
休職にあたって話を聞いてくれた人、一緒に悲しんで泣いてくれた人、私の代わりに怒ってくれた人、冷静に次取るべき行動を指南してくれた人、私の言葉にならない呻きに耳を傾けてくれた人、状況を見極めて私を1人にしてくれた人、私が静かに暮らせるように祈ってくれた人、などなど。
やっぱり変わらず、周りの人に恵まれた人生なのだなと思ったのに、
正直なことを話すと、このおやすみの期間で、今の人生を手放そうと何度か行動に移しました。

休職に至った経緯は省きますが、一言でいえば「ハラスメント被害に遭ったから」です。休む前は「ハラスメントじゃないかも、私の気にしすぎかも」と思って躊躇っていたけど、今ならはっきりと、これはハラスメントだったと言えます。
一つ一つが些細なようで、私にはあまりにも大きすぎる試練でした。
薬を飲んでやり過ごすことがうまくいく日もあれば、ベッドの上から動けない日もあったし、ただ雨が降っているだけでどうしようもなく悲しくて、一日中泣いてしまう日も少なくなかったです。

私は書くことも考えることも好きで、今までされてきた悔しかったことを原動力に、前に進み続けていました。
その集大成が大学4年間と卒論だったわけで、それをやり遂げたことをずっと誇りに思っています。
でも、休む直前の1週間ぐらい、休み始めてからの1ヶ月は、考えを巡らせれば巡らせるほど、自分が押し潰されていきました。
私が間違っているんじゃないか、私が気にしすぎなのかもしれない、「嫌なことをされた」と思ってるのも気のせいかもしれない。逡巡するうち、生きることに対する気力が削がれていきました。
こんな状態の自分を目の当たりにするのは人生で初めてでした。だから、もう今までのようには戻れないかもと思ったし、今まで私がやってきたことも考えを言葉にした集大成も学びも、全部無駄だったのかもと思えてしまって、死ぬしかないのかもと思いました。

自分の気持ちが本当に壊れて粉々になる前に、最後の力を振り絞って大学の恩師に会いに行きました。6月末のことです。
先生の授業に潜って、研究室で話しました。というより、私が言いたいことを全部先生へ捲し立てた、と言った方が正しいぐらい、ずっとまとまらない考えを投げ続けました。
二言、「学問は勝ち負けではない。ここまで勉強してきて、それでも立ち向かえなかったことが「悔しかった」んでしょう?」ということ、「「1人の社会人」としてではなく「愛嬌を振り撒く可愛いだけのフェミニンな存在」として捉えられ、そのように扱われる違和感に気づけている君は、十分に大学での学びを活かして客観的に物事を見つめられています」という言葉に、気持ちが救われると同時に私の後押しになりました。

そこを境に、7月はほぼ毎日国会図書館に通いました。ハラスメントについて、女性について、映画の表象について、これまで学びの糧としてきたもの、そしてこれから私の武器になるものをかき集めて、私自身が強くなるために行動しました。

その反動もあってか、8月後半に差し掛かり復職を目前にして、怒りと焦りの感情に襲われ、体調が逆戻りしそうになりました。
このタイミングで編み物にハマり、ずっとかぎ針を動かし続けています。私にできることは、心を休めてひたすらに手を動かし、時間をやり過ごすことだと気づきました。

復職当日、休めるだけ休んでおいて「そろそろ仕事がしたい!」とか思ってたくせに、出勤初日の電車ではぽろぽろ泣いてしまいました。久しぶりに踏み入れる会社は怖い。何があるから分からないから。
いざ行ってみたら、意外と普通の生活が待っていて、それが心地よかったです。いろんな人が「おかえり」と言ってくれて、ちょっとありがたくて、まだもうちょっと頑張ろうと思えました。

そして先日やっと、ハラスメント調査の結果が報告されました。
こちらも同様に内容は省きますが、被害者としては到底許容できるものではなく、悔しくて涙を堪えるのに精一杯でした。泣いたら負けだ、と自分にずっと言い聞かせて、宙を睨んでました。

それでも頭をフル回転させて、
「一生許すことはないし顔も見たくない。セクシャルな意図の有無というより、私を1人の社会人として同等に扱ってもらえなかったことに対して非常に憤りを感じる。謝罪は受け付けないので、今後一生同じことを繰り返さず、あなたの「ちょっとした不注意」でひどく傷つけられた人がいることを決して忘れないでほしい」
ということだけは伝えることができました。

他人に対して、あまりにも優しすぎた今までの私では考えられないような発言でした。
でも、この優しいままでいたら、私は誰かの独りよがりな気持ちに殺されてしまう、と思い、あえて強い言葉を放ちました。

先の発言さえも、間違ってるかもしれません。不道徳かもしれない。
それに、まだ忘れられないし、怖いです。経験を口にすることに抵抗はないけれど、加害者本人を遠巻きに見ただけで動悸が止まらなくなるし、夜の帰り道や電車の中、眠る時など、1人になった瞬間に、不意に見えない何かに襲われて涙が止まらなくなることがあります。
だから今回のことについて許すつもりは一切ありません。でも、これからも人の知性は信じていたい。
私自身も、これで一区切りをつけながら、この経験と闘いながら、前に進んでいくしかないのだと思います。

長い期間、何度も何度も死のうと思って辛かったけど、いつも誰かがそばにいてくれた気がします。決して1人ではなかった。とてもありがたいことです。
今、お世話になった皆さん一人ひとりにお礼を言ってまわっていますが、一旦こちらでみなさまに対してのお礼の言葉とさせてください。

負の感情がないまぜになってどうにかなりそうだった3ヶ月間でしたが、休みだったからこそ楽しめたことも色々ありました。そういう思い出を抱きしめて、前に進もうと思います。

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