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はじめてのイプセン

私は所謂有名な戯曲というものを読んだことがない。普通の役者であれば、たいてい高校演劇や大学で演劇を専門に学んでいたりだとかするから、通ってくる道であると思う。有名どころ、例えば古典であればシェイクスピアだったり、近代であればチェーホフだったり、だ。

オーディションを受ける機会に、題材になっているのがそういう戯曲だったりして、はじめて出会う。先日はチェーホフの「かもめ」であったが、今回はイプセンの「人形の家」である。
おおよそ100年ほど前に書かれた戯曲は、なかなか難解で、理解が追いつきにくい。先進的なホンだと思う。何を思って、どう演じさせたかったのか。100年後のわたしたちにもまだ理解できずに、あーでもない、こーでもないと言いながら頭を悩ませるのだ。

人形の家は比較的わかりやすくは書かれてはあるが、なにぶん翻訳者の言葉では細部がわかりにくい。だからと言って、元の言語がわかるわけではないので我慢するしかないが。男尊女卑が当たり前で、妻は夫の言うことを聞き、家を守り、子を育てることが当たり前だった時代。自分のことを「お人形さん」だった、と気が付いたノーラが、自分というものを探すために、家も夫も子も捨て置いて、出て行くと言うのだ。出て行くことは決めているのに、何故か長々と説明をするノーラ。決心したならエイヤッと出ていけば良いのに、と今の時代のわたしたちなら思うだろう。その時に説明を長々するノーラの感情を想像し、演じる。

これを読んでいて、先日観たファクトリーガールを思い出した。内容は似たような感じだ。女が仕事を得ることがとても難しかった時代。おそらく時代背景も近しいものがあったであろう。現代の女性たちが、こんなにも活き活きと好きなことを仕事にできているのは、間違いなく彼女たちが長年を賭けて闘ってきた結果だ。何かをおかしい、と感じ、声をあげる。それから行動してみる。1つ1つの小さなムーブが大きなムーブメントになって、生活を、時代を変えていく。もちろんどちらもフィクションではあるが、時代背景をそのまま作品に落とし込んでいるであろうから、そのありがたさを今日のわたしたちは享受しているのだ。たった100年でこんなにも時代は変わってしまうのだ。次の100年後にはどんな戯曲が残っているのだろうか。なんて思いながら、今日もオーディションに向かおうと思う。

愛澤 アン

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