運命(脳腫瘍 24)
退院2週間後の外来受診のとき、まだ入院している同室のメンバーに会いに元の病室へ寄った。
病室にはRさんしかいなかったが、椅子に座ってお喋りしていると、Sさんがご主人と一緒に戻ってきた。
Sさんは視神経の炎症で見えなくなっていたことがわかったそうで、炎症は治まったとのこと。
しかし、人が動く気配がほんのかすかにわかるようになったものの、依然として何も見えず、先生にはもうこれ以上回復しないと言い渡されてしまったという。
眼科に行っていたMさんは、1時間以上たってやっと戻ってきた。
私が退院してすぐ、夕日が当たって暑いとか何とか理由をこじつけてベッドを替えてもらったそうで、希望通り私のベッドに移っていた。
手術はだいぶ手こずったらしく、出血がなかなか止まらないので大変だったとか。
とは言うものの手術は成功し、2日後に退院するのだと喜んでいた。
そのMさんの元いたベッドには別の女の人が入っていたが、私が病室を訪れた日にちょうど手術を受けることになっていた。
名前を聞かなかったのでXさんとしておくが、見たところ30代といった感じのまだ若い人で、看護師さんがストレッチャーで迎えに来ているのに、トイレに行ったまま長いこと戻って来なかった。
やがてトイレから戻ってきたが、術衣を着て頭にはビニールキャップをかぶり、すっかり手術に臨む準備ができているのに気持ちの準備ができていない。泣き腫らした目をして、まだしゃくりあげている。
付き添っている母親らしい人が、これまた一緒になってすすり泣いている。
元気づけてあげる立場の人がこれでは、本人が動揺するのも無理はない。
「大丈夫よ。今は医療が発達しているんだから。それに、ここの先生たちは腕がいいから、きっとうまく行くわよ」
と、思わず声を掛けた。
他のメンバーも口々に励ましの言葉を掛ける。
詳しいことは聞かなかったが、Xさんは脳下垂体の手術を受けるという話だった。
大きな手術の前には、こんなふうに緊張したり、気持ちが乱れたりするのは普通かもしれない。
私はXさんの気持ちが落ち着くように、自分が手術を受けたときのことを話した。
「こんな大きな腫瘍ができていたのに、後遺症が何もなかったの。寝ていればあっという間に終わっちゃうわよ。何も心配しなくても大丈夫」
そうやってみんなで励ましているうちに、Xさんの気持ちも少しずつ落ち着いてきたようで、ストレッチャーに乗って病室を出ていった。
「がんばってねー」
と、だれかが言う。
「がんばらなくていいわよ。先生ががんばるから、先生を信じていればいいのよー」
と、私。
私は自分の手術が成功したのと脊髄の空洞が消えたのとで、意識してはいなかったが、高揚感があったのだと思う。
けれども、この高揚感は次第に消えていった。
退院した翌週には仕事に復帰した。
ゆっくり養生している余裕はないので働かなくてはならないが、体力がないから、朝から晩までずっと起きていることはできなかった。
午前中は仕事をしたり用足しに出かけて、昼過ぎには戻っていったん横になる。
ひと眠りしてから起きて、また仕事する。こんな日常だった。
毎朝鏡を覗くと、やつれて皮膚に張りのなくなった顔がこっちを見ていた。
ヘナで染めていた髪が伸びて、前髪の根元が真っ白になっている。
歳より十は若く見えると言われていい気になっていたのが、歳より十も老けて見える。
元気なとき、私は自分が老いるなどと考えていなかった。
いや、考えていなかったわけではないが、まだ当分先のことだと思っていた。
しかし、老いは確実に私にも訪れている。
退院してからというもの、毎日、自分に残された時間がどれだけあるのか考えずにはいられなかった。
私はあと何年生きられるだろう?
何年生きるとしても、いつまで元気でいられるかわからない。
どこかしら障害のある体で生きなくてはならないかもしれない。
そんなことを思っていたある日、知り合いの80代の方に、
「まだ腕にもあるし、右目の奥にもあるし、腰にもあるんです」
と言うと、
「今のうちに病み上げてしまって、長生きなさい」
と言われた。
そういう考え方があるのかと、急に視界が開けた気がした。
世の中にはいろんな人がいて、人それぞれに様々な人生がある。
人と比べて幸、不幸を言っても始まらない。
人より幸せなこともあれば、人より不幸なこともある。
何が幸運で、何が不運なのかわからない。
私の場合、腫瘍ができたのは不運でも、手術が成功したのは幸運だった。
ものごとは考え方次第でどうにでも受け取れる。
これから先も、この病気を背負って生きなければならないのだから、私は自分の運命を受け入れよう。
これが私の人生だ。
その中で、今出来ることを精一杯やるだけだ。
そうすれば、道はおのずと開ける。
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