宣告(脳腫瘍 4)
3月4日(金)夕方、臼井先生のお話があるからとナースステーションに呼ばれた。
どこの病院でも、手術前に主治医が手術について説明し、手術に伴う危険性を告げて患者の同意を得ることになっている。
事前に家族を呼んで一緒に聞くように言われるが、私は一緒に聞いてくれる家族がいないので(父はほとんど寝たきり、弟は難病で歩行が困難)、いつも1人で聞いている。
病院側はそれでは困るのかもしれないが仕方ない。
ナースステーションの中の小部屋に入ると、臼井先生とY先生が待っていて、臼井先生がボードに貼ったMRIを見せながら説明を始めた。
既に何度も見て知っている自分の脳の写真。MRIは左右が逆に写るので、脳の左側に直径5センチ程度の腫瘍が見えるが、実際には「右小脳腫瘍」。
臼井先生のお話は、だいたいこんなふうだった。
腫瘍が大きいため小脳が圧迫されている。このままにしておくと圧迫が脳幹にまで達し、水頭症になり、確実に死ぬ。開頭手術で腫瘍を取るしかない。
この腫瘍がどういうものかは取ってみないとわからない。髄膜腫かもしれないが、取るときに神経に触ると、顔面神経痛になり、顔半分がだらっと垂れてしまう。
または、右の耳下にできていた腫瘍と関係があるかもしれない。(喉の迷走神経にできていた腫瘍のこと。そのときの取り残しが育ったもの、という意味だろうか?)
その場合、聴神経とくっついていると、取るときに神経が傷つくから耳が聞こえなくなる。
手術中に出た血は脳の方に行かないようにするが、大量に出血して小脳の方に回ってしまうと小脳の機能障害が出る。たとえば、右腕がぶらぶらになるとか。
出血が多い場合は輸血する。まず自己血を使うが、それが足りないときは他の人の血を使うから、感染症にかかるおそれがある。
先生は義務として手術に伴うリスクを告げたに過ぎないが、表情も口調も深刻なので、このうちのどれかになる確率が100%近くあるという印象を受けた。
「顔がだらっと垂れ下がる」「耳が聞こえなくなる」「右腕がぶらぶらになる」
そう言いながらジェスチャーをするので余計リアルだった。
真っ先に頭に浮かんだのは、猫たちがみんないなくなっていて良かったということだった。私の身に何かあったとしても、もうだれも困る子はいない。
話が終わって病室に戻り、ベッドに仰向けに寝そべった。
今の話が重たい鉛のように胸をふさいでいた。
ああ、これで私の人生も終わりだ。そんな障害が出て、仕事もできなくなったら生きてはいかれない。もしそうなったら、何も食べずに衰弱して死ぬことにしよう。
暗い気持ちで天井を眺めながらそう考えたが、1分もしないうちに、ふと、まったく別の考えが心に浮かんだ。
もう今から私にできることは何もない。手術は先生がするのだから、私は先生の腕を信じるだけだ。それと、自分の強運を信じるだけ。
そこへ、臼井先生が現われた。
「ひとつ言い忘れたことがある」
先生は、頭には空気の部屋があり、そこから硬膜を切って脳腫瘍を取り出すのだが、硬膜をふさいだところから髄液がもれると鼻から水が垂れてくる、と説明した。
「もし水が垂れてきたら、もう1度開けて硬膜をふさぐから」
言い終えて病室を出ていこうとする先生に向かって、
「先生、私、先生の腕を信じているからね」
と声を掛けた。
「私にできることはもう何もないから、後は先生の腕を信じるだけよ」
サバサバした気分でそう言うと、臼井先生は笑った。いかにも余裕のある笑顔だったので、この先生なら大丈夫だという気がした。