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クリスマスの一時帰宅(頚椎腫瘍 29)
12月に入ると病棟にクリスマスツリーが飾られ、友人たちからクリスマスカードが届き始めた。
私はクリスチャンではないが、日本人の例に漏れずクリスマスの雰囲気が大好きだ。
家でもクリスマスツリーやリースを飾り、友人たちにカードを送り、得意のフルーツケーキを焼く。
クリスマスを祝うのではなく、年間行事の1つとして単純に楽しんでいる。
入院先を知っている友人たちは病院宛にカードを送ってくれたし、自宅に届いた分はご近所のNさんが持ってきてくれた。
先月退院したSさんも美しいカードを送ってくれた。
Sさんは同室のメンバー1人1人に違うカードを送ってくれたが、私のが1番素敵な、つまり、私の好みにぴったりのカードだった。
私が「カナダの母」と呼んでいるヘレンさんからもいつものように届いたので、今年はカードを出せないお詫びと、春以来の一連の顛末を書いて返信した。
手紙を受け取ったヘレンさんはさぞ驚いたことだろう。
クリスマスイブは病院でもクリスマスディナーが出る。ローストチキンにケーキもついてくる。
病院でクリスマスを迎えたことがある三崎口夫人や国分寺のお姉様は、たびたび病院のクリスマスを話題にした。
「前に入院した病院ではね、看護婦さんたちが病室を回ってクリスマスキャロルを歌ってくれたの。部屋を暗くして、キャンドルを持って」
「わぁ、素敵」
「ここじゃあ無理よ。看護婦さんたち忙しいもの」
「ねぇ、ケーキって、生クリームがついたケーキ?」
どうしても食べ物に興味が行ってしまう私は、クリスマスキャロルよりもキャンドルよりも、ケーキに生クリームがついているかどうかの方が気になった。
ケーキはケーキでも、パウンドケーキなんかじゃがっかりだ。
「大丈夫。ちゃんとついているから」
国分寺のお姉様に請け合ってもらって安心した。
いよいよクリスマスイブの24日がやってきた。
この日は一時帰宅することになっていて、朝食が済んだらボランティアのOさんが迎えに来てくれた。
予定としては、地下鉄で渋谷まで行って銀行に寄り、家賃を振り込んで入院費用を下ろし、お昼のお弁当と茅ヶ崎夫人にお土産のパンを買う。
渋谷から家まではタクシーに乗る。
家に着いたら掃除機をかけてふとんを敷いてもらい、Oさんには一旦帰ってもらって、4時にまた迎えに来て病院まで送ってもらう。
およそ1カ月半ぶりの外歩き。片手で杖をつき、Oさんにもう片方の腕を支えられて、長い九段坂を下っていった。
左足はまだしびれて痛いが、なんとか歩いて駅にたどり着けた。
九段下の駅は地上から地下鉄のホームまで、エレベーターを乗り継いで昇り降りできる。
ここ数年の間に電車の駅はずいぶん便利になった。
足が悪くなったのがこの時代で幸いだった。
渋谷では東急百貨店で宮川のうなぎ弁当を買い、東急プラザでソーセージパンとポンパドールのガーリックトーストを買う。
どこもかしこもクリスマスデコレーションできらびやかだ。
銀行ではOさんが椅子を借りてきて、自分が列に並んでATMの前に来るまで、私が座って順番を待っていられるようにしてくれた。
Oさんはいつもはお年寄りの付き添いをしているそうで、ボランティアには慣れているようだが、それだけではなく親切でよく気が付く人だった。
退院してからも何度か掃除や買い物をお願いしたが、本当に助かった。
タクシーが家の近くの商店街に差しかかったとき、カーラジオからマライア・キャリーの "All I want for Christmas is you" が流れてきた。
今年初めて耳にするクリスマスソング。
ああ、今年は1シーズンをふいにしてしまったな。
猫たちと一緒に過ごしたクリスマスは、ケンタッキー・フライドチキンを買ってきて、みんなに身をほぐしてやったっけ。
まだ猫たちが若くて歯も丈夫だった頃は、床に広げた新聞紙の上に、身のついたあばら肉を細い骨ごと投げてやると、バリバリ音を立てて食べていた。(昔は猫に塩分の濃いものをやってはいけないという認識はなかった)
たくさんいた猫たちも1匹ずついなくなり、残った3匹を連れてマンションに引っ越してきたのだが、クマ子が17歳で逝き、トラ子が21歳で逝って、今はチビだけになってしまった。
そのチビももう高齢で、今年のクリスマスは離れ離れに過ごしている。
クリスマスソングを聞いてそんな感傷にふけっていたが、歌が終わると同時にタイミングよくタクシーは家に着いた。
ベランダに面した南向きの部屋に入って行くと、テーブルにピンクの花をぎっしりつけたシクラメンの鉢が置いてあった。
植木の水やりを頼んでいるご近所のNさんが、私の一時帰宅に合わせて持ってきてくれたのだろう。
何日も住む者のない火の気の途絶えた部屋は冷えきっていた。
Oさんが頼んだ用事を済ませて帰ってから、うなぎ弁当を食べ、父に電話を掛け、病院に持って帰るものを用意し、部屋のヒーターとキッチンのストーブをつけたままふとんに横になった。
久しぶりの我が家。猫がいないことだけがいつもと違う。
いや、私がこんな体になってしまったことが何より前とは違っている。
それは事実だが、悲観しているのではなかった。
首のカラーは3月には外れるし、足のしびれもいずれは取れるだろう。夏までには杖をつかずに歩けるようになるはずだ。
脳腫瘍もおそらく夏頃には手術することになるだろう。(と、このときは考えていた)
まずは退院して仕事に復帰することが肝心だ。
硬いドアもベランダの窓も自分で開けられることがわかった。
ふとんの上げ下ろしは当分できないが、少し動かすのもこれでは重すぎるから、もっと軽い素材のふとんに買い替えよう。
週に2、3度、ボランティアのヘルパーさんに掃除と買い物を頼むことにしよう。
ふとんに横たわったまま、退院後の生活について思いをめぐらした。
チビも早く引き取りたいし、年内に退院したかった。
チビと一緒に大晦日を過ごして、2人(1人と1匹)で新年を迎えるんだ。
元日は家でサッカーの天皇杯を見なくては。(当時は元日に決勝戦があってテレビ中継されていた)
約束通り4時にボランティアのOさんが迎えに来てくれた。
病院へ戻ろうと玄関を出たところで、外から帰ってきたお隣りのおばさんとばったり出くわした。
「ああ、帰ってきたの?」
おばさんは抱き着かんばかりの勢いで、両手で私の手をとって握りしめた。
「よく帰ってきたわねぇ。どうしているかと思っていたのよ」
おばさんは80代だが、どこから見ても70そこそこの元気な人で、面倒見が良く、自主管理のマンションの管理人的存在だ。
私が今日は一時帰宅で、また病院へ戻るのだと言うと、
「早く帰ってきてね。寂しいよ」
と、私の手を握りしめたまま、涙を流さんばかりに「寂しい」を繰り返した。
おばさんは息子さんと2人暮しで、近くには娘さん一家もいるし、老人クラブの交流も活発で、決して孤独な独居老人ではない。
それなのに、夜、私の家に明かりがついていないのは寂しくてたまらないと言う。
私は手を握って放そうとしないおばさんに、年内には退院するからと言って、おばさんの気持ちに感謝しつつマンションを後にした。
夕食に間に合うように病院へ戻ると、テーブルの上にリボンを掛けた小さな箱が置いてあった。かわいいクリスマス模様のラッピング。
「お昼にサンタが来たのよ」
三崎口夫人のご主人がサンタクロースになって、同室のメンバー全員にプレゼントを配ったのだそうだ。
ローストチキンとケーキも持ってきてみんなに分け、私の分もとっておいてくれたと言う。
プレゼントの中身はチョコレートだった。
甘いものはいやと言っていたくせに、こういう贈り物は嬉しい。
さて、病院のクリスマスディナー。
デザートは生クリームたっぷりの苺のショートケーキで、最後まで満足のいく1日だった。