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犯人はだれ?(脳腫瘍 19)

 Fさんが退院した後、隣のベッドに入って来たのはRさん。某名門女子高で英語を教えているそうで、春休みを利用して扁桃腺を取るのだという。
 同時にどこか(鼻の奥の軟骨?)を削って鼻腔を広げる手術も受けるのだそうだ。
 無呼吸症候群でいびきがひどいので、それを治すためとのこと。
 Mさんや私の手術と比べたら危険度は低いかもしれないが、1度に2カ所も手術するのでは後が苦しいのではないかと思った。

 Rさんが手術を受ける日の朝、病棟主治医が血管確保にやって来た。
 血管確保というのは手術に際して点滴の針を刺すことで、そこから必要に応じて薬を注入したり輸血したりできるようにしておくことだ。

 Rさんのベッドの周りにはカーテンが張り巡らしてあるので、主治医の顔は見えないが、声を聞いている限りではまだ若く、Y先生や九段坂病院のN先生と同じぐらい……30代初めから半ばといった感じだった。

 点滴の針を刺すのは先生でも看護師さんでもうまい下手があって、一発でするっと針が入る人と、おっかなびっくりやっているのでなかなか血管が捕まらない人がいる。

 私の血管は細いのか、上に浮き出て来ないのか、針を刺しにくいらしい。
 点滴に限らず、血液検査のときにも看護師さんを悩ませることが多い。

 いつだったか、どこかの病院で看護師さんに、
「アンヌさんの血管は、針を刺そうとすると逃げるんだもの」
 と言われたことがある。

 針を刺すときに痛いと、点滴している間中ずっと痛い。
 たぶん、刺し方が悪いのだろう。
 不馴れな看護師さんに下手な刺され方をして、赤黒く内出血してツベルクリン反応のように腫れてしまい、何日も痛かったこともある。

 Rさんも血管が細くて針を刺しにくいらしく、以前も別の病院で何かの手術を受けたことがあって、そのときも血管確保に手間取ったのだそうだ。
 本人は経験知から「ここしか入らない」という場所があるのだという。

 案の定、Rさんの主治医はなかなか針が刺せず、血管と格闘していた。
「あ、すみません」
 と、たびたび謝る声が聞こえてくる。

「すみません。今の痛かったですね。すみません」
 ひたすら謝り、針を刺し損ねてはまた謝る。
「ああ、だめだなぁ。すみません、痛いですよね」

「そっちからじゃなくて、こっちの方がいいと思うけど」
 Rさんが遠慮がちに助言するが、先生はその通りにやっているのか、やってみてもだめなのか、悪戦苦闘の息遣いだけが聞こえてくる。
 姿は見えないが、もう相当に汗をかいているらしい。額から汗が滴り落ちるのが見えるようだ。

 そのうち、とうとう、
「手の甲にしましょうか」
 などと言い出した。
 手の甲に刺すなんて痛いだろうに。
 これにはRさんも参ったようで、拒否はしないがため息をつくのが聞こえた。

 しかし、それからまたしばらくすると、先生は諦めたのか、
「少し待っていてください」
 と言い残して帰ってしまった。
 血管確保のために病室を訪れてから20分ほどたっていた。

「なんだかすごいことになっていたけど、大丈夫?」
 カーテン越しに声をかけると、Rさんはうんざりしたように、
「下手くそなの」
 と言った。

「だれか上手な看護婦さんにやってもらえばいいのに。看護婦さんを呼びに行ったのかしら?」
 そうたずねると、
「血管確保は主治医がすることになっているから、先生がしなくちゃだめなの」
 という返事。
 そうなの? それは知らなかった。

 私は九段坂病院で手術の後、右腕に大きな青タンができていたことを思い出した。
 点滴の針を刺し損なってできた内出血が腕の腹に広がって紫色になり、その周りには針で引っ掻いた跡が無数についていた。

 点滴の針は腫瘍のできている左腕に刺してあったから、最初右に刺そうとして失敗したので左にしたのだろうと思った。
 点滴の血管確保が主治医の仕事なら、あれはN先生の仕業だったのか。

 と、ずっと思っていた。

 ところが、6月に左腕の腫瘍も取ることになり、九段坂病院から腕の専門医を紹介されて別の病院で手術を受けたのだが、そこはN先生の異動先で、その専門医とN先生の2人に執刀してもらった。

 このときは局部麻酔で意識があったから、N先生がこの前失敗した右腕に血管確保するのを緊張して待っていた。
 が、何事もなく、針は拍子抜けするほどあっさり入った。 

 わっ、うまい! 
 でも、不思議だなぁ。たった半年で血管確保の腕を上げたのかしら? それとも、前に失敗したのは別の人だったのかしら? 

 本人に聞いてみたかったが、外来の診察室では看護師さんや他の患者さんたちに聞こえるので、気が引けて聞いてみることはできなかった。

 私の腕に青タンを作った犯人は一体だれだったのだろう? 未だに謎だ。


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