ケンちゃん
断片的に覚えている子供の頃のこと。その中で忘れられない人がいる。
母から聞いた話によると、私が幼い頃、父は工務店を開いて家を建てる仕事をしていた。自宅に住み込みの大工を置いて、祖父の土地に家を建て、建て売り住宅の販売も始めた。
詳しいことは覚えていないが、土地付きなのに安く売ったとか、お客さんと何かで揉めて家の値段で土地まで売ったとか、その頃のことを話しながら母はこぼした。
「土地を売らなければいいのに、お父さんは土地なんてまたいつでも手に入るって言うのよ」
父は苦労して手に入れた土地ではないからそんな風に考えたのか、負け惜しみでそう言ったのか、そこのところはわからない。
どうだったにせよ、母は自宅に住み込んだ大工たちの食事の世話をしなくてはならず、小さい子供を抱えて大変だったに違いない。
私は大工たちが住み込んでいたことは覚えていないが、1人だけ記憶に残っている人がいる。
ケンちゃんだ。
当時ケンちゃんは二十歳か、もしかしたら二十歳にもなっていなかったかもしれない。
背が高く、優しくて感じの良い顔をしていた。
母によればケンちゃんは子供好きで、お給料が出ると、少ないお給料の中から私と弟にお菓子を買ってくれたそうだ。
残念ながら私は覚えていないが、こうして未だにケンちゃんを懐かしんでいるくらいだから、きっと懐いていたのだろう。
私が覚えているのは、ケンちゃんが変な歌を歌ってくれたこと。
牧場が火事でどうのこうの、牛のキ◯◯マ丸焼けだぁ、などというくだらないもので、私は「嫌だな、そんな歌」と思った。
歌というより、テキヤの寅さんの「粋な姐ちゃん立ちショ◯◯ン」のように、節はついていないが語呂がいい。
子供を構いたくてたまらないケンちゃんは、私が面白がると思ってそんな歌を歌ったのだろう。
その後何年もたたないうちに、父は商売がうまく行かなくなって店をたたみ、私たち一家は郊外に引っ越した。
母の実家は私が幼少期を過ごした家から歩いて数分のところにあり、未亡人だった母方の祖母は、末娘が寺に嫁いだ後そのままそこで独り暮らしをしていた。
高校生のとき、私はしばらく祖母の家で一緒に暮らした。
ある日、祖母と連れだって買い物に出掛けたときのこと、向こうから近づいてきた職人風の男の人を見て祖母が足を止めた。
「ケンちゃん」
祖母の声に通り過ぎようとした相手も立ち止まり、祖母だとわかると愛想よくお辞儀した。
私は心の中で「ケンちゃんだ!」と思った。
あの頃より歳は取っていたが、面影は残っていた。
祖母がケンちゃんに私の名前を言ったのか、私に「ケンちゃんよ」と言ったのか、そのあたりはよく覚えていない。
ケンちゃんは「◯◯ちゃん?」と私の名前を聞き、私がうなずくと、「大きくなったなぁ」と言わんばかりに、まぶしそうに私を見た。
笑顔のケンちゃんは前歯が1本欠けていて、人の好いオジサンのようだった。
ケンちゃんは私が小さい頃にそう思っていたほど背が高くはなかった。
けれども、あの頃と同じように優しくて感じの良い顔をしていた。
それから祖母とケンちゃんは二言三言話をして、私たちはお互いに行くべき方向に別れた。
それっきりケンちゃんには会っていない。
長い間ケンちゃんを思い出すこともなかったが、歳をとったせいか昔のことをよく思い出すようになり、ケンちゃんのことも思い出す。
父が店をたたんでからも、ケンちゃんはずっと大工をしていたのだろう。
どんな暮らしをしていたのか。
前歯を抜けたままにしておくところを見ると、暮らし向きはあまり良くなかったのかもしれない。
ケンちゃんは生きていれば80代の終わり頃だろうか。
もしかしたら、もうこの世にいないかもしれない。
たとえそうだとしても、ケンちゃんの人生が幸せなものであったらいいと思う。
健康で、夫婦円満、子供に恵まれ、精一杯働いて、ご飯がおいしいと思える毎日。
子供好きのケンちゃんは、自分の子供がいたらさぞ可愛がったことだろう。
そんなことを考えていると、また、あの変な歌を歌ってくれたときのケンちゃんを思い出す。
※上の絵は従妹が4~5歳のときに描いたもの。
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