階上の住人 (後編)
それからまた2〜3年たって、8月も末のある夕方、白い壁に赤茶色のスジがツーッと走っているのを見つけた。
この前Iさんが浴室のシャワーを工事して水漏れしたのと同じ場所。
ほんの少しだが錆のような赤茶色の水が垂れてきて、壁にスジを作っているのだった。
拭いても拭いても垂れてくるので、天井と壁の境に布を当てて水が垂れてこないようにした。
この時もIさんは留守だったので、メモを残しておいた。
ドアの新聞受けにメモを入れようとつまみを引くと、中に紙が貼ってあり、新聞配達の人に宛てたものらしく「ご苦労さん」と書かれていた。
翌朝、いつまで待ってもIさんが来ないので、しびれを切らして訪ねていった。
Iさんは在宅だったが、自分のところでは配管をいじっていないし、老朽化して水漏れしたのだろうから自分の責任ではない、という返事だった。
天井を含む占有部分はこちらの責任範囲なのだそうだ。
そこで、水道屋を呼んで見てもらった。
天井をはずして調べたところ、Iさんの水道メーターと浴室の蛇口をつなぐ給水管が古くなっていて、そこから漏れていることがわかった。
責任の所在をめぐってIさんと話し合いを重ね、マンションの管理人やこちらの大家も巻き込んですったもんだの末、水漏れしている部分はIさんの所有物なので、Iさんが修理することになった。
天井にまたしてもシミができてしまったし、流しの上のシミもそのままなので、ちょうどいい機会だから天井も張り替えてもらいたいと申し入れた。
天井板はシミのできているところだけ取り替えるわけにいかず、同じ板で天井全部を張り替えなくてはならない。
だが、いったん納得するとIさんは太っ腹なところを見せて、玄関とダイニングキッチンから廊下へひと続きになっている天井を、すべて自己負担で取り替えてくれると言った。
Iさんは、まず自分のところの床をはがして水道管を全部新しくし、その後で天井の張り替え職人が入るように手配してくれた。
お互いに上と下を行ったり来たりしなくても話ができるように、電話番号を交換しようということで、Iさんからは名刺をもらった。
Iさんは会社を経営していたらしい。
名刺にはIさんの名前と電話番号の他に、Iさんの名前を冠した会社名が印刷されていたが、もう引退したのか、名誉職についているのかはわからなかった。
後日、工事を始める前に職人が天井を見に来るといって、Iさんがこちらの予定を聞くために電話をくれた。
「土曜日はいらっしゃいましょうか」
いらっしゃいましょうか……なんと優しい響きだろう。
Iさんの言葉遣いはゆかしく、いつまでも耳から離れなかった。
その後しばらくして、スーパーのレジでIさんと鉢合わせしたことがある。
それまでにもマンションの入り口で顔を合わせたり、駅へ行く道を歩いているIさんを見かけることがあったが、挨拶こそすれIさんはいつもむっつりしていた。
スーパーで、Iさんは1つ1つラッピングされた大福を何個も買っていた。
何かの寄り合いに持っていくお茶菓子だったらしい。
私はたまたま同じレジに来合わせ、そこで初めてIさんがいることに気がついた。
「こんにちは」
と声をかけると、Iさんはいきなり挨拶されてびっくりした様子で、いっときこちらを見ていたが、私だとわかるとにっこり笑った。
人のよさそうな笑顔がぱぁっと広がって、まるで大黒様のような顔になった。
年が明けて、2月の末か、3月に入ってからだったか、ふと、夜中に階上からテレビの音が聞こえてこないことに気がついた。
自分も夜中にサッカーの試合を見て騒いだりするので、階上の音はあまり気にならない。
Iさんが大きな音でテレビを見ているなと思うだけだ。
それで、いつ頃から音が聞こえてこなくなったのかわからなかった。
ただ、しばらく前から夜はいつも静かだった。
Iさんはいるのだろうか?
気になったので、マンションの玄関にIさんの郵便受けを見に行ったが、郵便物もチラシもたまっていなかった。
半月ほどたった頃、Iさんの友達だという老夫婦が訪ねてきた。
「いつ電話しても出ないので来てみたのですが、お留守なんです。この間も来たんですけどお留守でした。何かご存知ではありませんか?」
友達にも連絡しないで、旅行にでも出ているのか、入院でもしているのか。
隣のおばさんにも聞いてみたが、やはり最近見かけないという返事だった。
一人暮らしの老人だから、何かあって部屋の中で倒れていたりしたらまずい。
以前もらった名刺に会社の電話番号が書いてあったので、思い切って掛けてみた。
最初、事務の女の人が出て、Iさんはもう辞めているのでわからないと言われたが、同じマンションの住人だと告げると別の男の人が出てきた。
案の定、Iさんは肺がゼーゼーいって苦しくなり、1月末から入院しているとのこと。症状がおさまってきたので、もうじき退院できるとのことだった。
それを聞いて、Iさんがヘビースモーカーだったことを思い出した。
水漏れの件で話しに行くと、いつも部屋の中には煙草の煙が充満していた。
うっかり入院先の病院名を聞き損なってしまったが、退院の目処がついたと言うので、もうじき帰ってくるのだろうと思った。
とにかく、わけがわかってほっとした。
だが、Iさんが帰ってくることはなかった。
4月になっても、5月の連休が終わっても、Iさんは戻ってこなかった。
そして、5月末に、そのまま入院先の病院で亡くなった。
子供のいないIさんの遺品は親戚の人たちが引き取ることになり、階上の部屋もその人たちが相続した。
亡くなってしばらくたってから、遺品を整理しに人が出入りしている気配や物音がしていたが、夏の間にひと通り整理がついたらしく、夏が終わるとだれも訪れなくなった。
Iさんが入院していた間そうだったように、階上からテレビの音が聞こえてくることはなく、静かな夜が続いた。
時折、主のいない電話のベルが鳴っているのがかすかに聞こえた。
Iさんとは親しい間柄でもなかったし、話をするのは何か問題が起きたときだけだった。
それでも、あの「土曜日はいらっしゃいましょうか」というゆかしい言葉遣いと、最後にスーパーで見た柔和な笑顔が心に残っていて、漠然とではあるが、これからはもっと好意的な隣人になれるだろうという思いがあっただけに、Iさんの不在が寂しく感じられてならなかった。
※雑記帳は以前ホームページに掲載していたエッセイ集です。