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マイコンベース銀座

 IBMの教室でマルチステーション5550の講習を受けたのが正確に何人だったかは知らないが、少なくとも10人程度はいた。
 BASICの講習会を終了したのはもっと多かったはずなので、何人かは別の場所で別のオフィス用パソコンの操作方法を習ったのかもしれない。

 とにかく、BASICを終了してオフィス用パソコンの操作も終了した人のうち、3人だけが仕事をもらった。
 私もその中に入っていた。
 1人は話をしたことがあって学習塾の先生をしていると言っていたが、もう1人は話したことがなかった。
 仕事をもらったのは、教える仕事をしているか、教えた経験のある人だということだった。

 仕事の内容はオフィス用パソコンの操作方法を教えるインストラクターで、場所は銀座1丁目のマイコンベース銀座。
 ここは1階から9階までパソコンのショールームと、パソコン教室、商談をする部屋などで占められている、ビル全体がパソコン関連の施設だった。
 オムロンマイコンシステムズというのが会社名で、上の方の階にIBM5550の教室があり、その上の階には別のメーカー(多分NEC)の教室があった。

 私は5550の教室で日本語ワープロとマルチプランを教えたが、私の知らない1人は上の階でdBASE IIIを教えた。
 私も自分の仕事のない日に、生徒としてdBASE IIIの教室に参加させてもらったことがある。
 もう1人が何を教えていたかは覚えていない。

 立石電機はIBMの販売代理店ではなかっただろうか。
 自分が教えていたせいか、マイコンベース銀座はIBM5550に力を入れていたような印象がある。
 日本語ワープロやマルチプランのマニュアルには立石電機の名前が付いていたから、その印象は正しかったかもしれない。

 1984年6月にマイコンベース銀座で5550のパソコン教室が始まった。
 習いに来るのは5550を導入した会社の社員で、おそらく買ったら操作方法を教えるサービスが付いていたのだと思う。

 仕事はランダムに月に2日か1日で、2日連続で1日ずつ日本語ワープロとマルチプランを教えることもあれば、1日に両方教えることもあった。

 生徒は女性が多かったが男性もいた。
 その人たちに、まずは大まかにコンピュータの仕組みを説明する。
 中央演算装置(CPU)について、ハードディスクについて、コンピュータは0と1の組み合わせで文字を認識していること、つまり、コンピュータが理解している機械語(2進数)のこと、ビット、バイト、キロバイトといった単位の説明など。

 それからいよいよ日本語ワープロの操作方法に入るのだが、パソコンを見るのは初めての人ばかりなので、「フロッピー」という物の名前、「改行キー」などキーの名前、画面に表示される「カーソル」などの名前、文字を入力して変換し「確定させる」など操作の呼称まで、すべて一から教える必要があった。

 教える内容をあらかじめ大学ノートに書いておいて、見ながら説明した。
 これは学習塾でもやっていたことだが、授業のシナリオを作って、シナリオ通りに進めていく。
 そうすると漏れもなく、説明が前後したり順不同になることもないので安心だし、生徒にとってもわかりやすい。

 このマイコンベース銀座のパソコン教室は、多分日本で初めてのパソコン教室だった。
 それまでインストラクターという職業もなかったから、私たちが日本で最初のパソコン・インストラクターだったと思う。

 このIBMパソコン教室には、よく、テレビ局からニュース番組の取材が来た。

 朝、マイコンベース銀座に着くと、担当者から
「今日はテレビ局の取材が入ります」
 と言われる。

 何時に来るか、どこの局から来るかは教えてくれない。
 何の番組かも知らされないので、カメラが入って撮影されても、自分では1度もテレビで見たことがない。

 授業をしている最中に、不意に大きなカメラを肩に担いだカメラマンと、その他のスタッフ数人がパラパラと入ってきて、操作している生徒の姿や画面や手元をゆっくり写していく。
 教えている私の方も撮っていく。

 私はカメラが存在しないかのように、彼らを無視して授業を進めていった。
 不自然に映るといけないので、カメラの方はチラとも見ないようにしていた。
 とは言え、無意識に固い表情をしていたような気もする。

 取材に来るのは日本のテレビ局だけでなく、海外からもやってきた。

 私にはカナダ在住の日本人の友人夫妻がいたのだが、あるとき、ご主人がテレビのニュースを見ていたら、マイコンベース銀座のパソコン教室が映って、私が教えていたそうだ。
 その時点では私達は1度も会ったことはなかったが、奥さんとは文通して親しくなっており、写真も何枚も送っていたので、彼は私の顔を知っていた。

「これ、アンヌさんじゃない?」
 その声を聞いて、奥さんが飛んできた。
「あ、ほんと。アンヌさんだ!」

 私は彼女の手紙でそれを知り、世界は狭いなぁと思った。

 マイコンベース銀座は今はもうない。
 私はここで初めてMacintoshに出合った。Apple製品の日本上陸第1号だった。
 マウスを見たのも初めてで、ちょっと触らせてもらったが、そのときはいずれ自分が仕事で使うようになるとは夢にも思わなかった。

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