一時帰宅したいのに(頚椎腫瘍 24)
N先生は脳腫瘍が小脳に及ぼす影響についても心配して、小脳が正常に機能しているかどうか、たびたび簡単なテストをした。
「両手をグーパー、グーパーしてください」
と言いながら、自分も手を握ったり開いたりしてみせる。
「はい。じゃあ、この指を見て」
私の目の前に人さし指を出して、右から左へ、左から右へと動かす。
「目をつぶって、右手の人さし指で自分の鼻を指さして。はい。今度は左手の人さし指で」
その通りにすると、次は目を開けたまま同じことをさせられる。
どちらの手だったか、わずかに鼻の頭からずれたところを指さしてしまい、少し症状が現われているようなことを言われた。
虎の門病院に入院してから脳外科の病棟担当医にたずねたら、その程度はなんでもないと言われたが、N先生は脳腫瘍が専門ではないだけに心配だったのだろう。
実際に腫瘍はかなり大きくなっており、これ以上大きくなると命にかかわる危険な状態だったそうだ。
私は最初に脳腫瘍があると聞いたときはショックを受けたが、その後はあまり気にしていなかった。
気にしてもどうなるものでもないし、自分でどうすることもできない以上、いやなことは考えないに限る。
毎日それなりに楽しく入院生活を送っていた。
N先生にはまだ歩けないうちから、
「ここにいる間に、できるだけ早く、脳外科に行って診てもらってください。どこでもアンヌさんの好きな病院でいいですから」
と言われた。
どこでも好きな病院と言われても、馴染みの病院などあるはずもない。
中井先生に紹介状を書いてもらうなら医科歯科大病院だろうか?
とにかく、歩けるようになるのが先決だ。
リハビリを始めて2週間ほどたった頃、そろそろ脳外科受診の準備をしておいた方がいいと思い、1人で外出するのは不安なので、区のボランティアに付き添いを頼むことにした。
三崎口夫人が居住区の有料ボランティアのヘルパーさんを頼んでいると聞いて、私も自分の居住区に問い合わせてみたところ、区の福祉サービスを利用できることがわかった。
病院への付き添いが必要な人や、家事援助をして欲しい人に、低料金でボランティアを派遣してくれる。
とりあえず脳外科受診の付き添いを頼みたいと思ったが、どこの病院にかかるか、いつ行くか、具体的なことが決まってからでなければ頼めない。
ボランティアを頼んでもすぐに人がみつかるとは限らないから、何日も前に連絡しておかなくてはならない。
ところが、さんざん脳外科受診を勧めていたN先生が、ぱったりそのことを口にしなくなった。
歩けるようになってからは、以前ほど頻繁に病室にやって来ることもなかった。
中井先生もいやにそっけなく、たまに廊下で会っても挨拶もそこそこにスタスタ行ってしまう。
今思えば、それだけ元気になって先生の心配もなくなったということだろうが、この頃はなんだか妙な気がしていた。
そうこうするうちに日がたって、脳外科受診よりも、退院に備えて外歩きの練習をしたい、それも兼ねて日帰りの一時帰宅をしてみたいと思うようになった。
家に帰ってドアが開けられるか、窓が開けられるか試してみなくてはならなかった。
入院する日に閉じ込められそうになった古くて硬いドアノブや、元気なときでも開け閉めに力が要ったベランダの窓だ。
ペットボトルのふたも開けられなくなってしまった手で、果たしてドアや窓が開けられるかどうか、とても心配だった。
まだ歩行器ははずれていなかったが、翌週あたりはずせるのではないかという期待をこめてN先生に外出を打診したら、ダメとは言わずに困ったような笑みを浮かべた。
ダメなどと言おうものなら、また私が猛反撃すると思ったのかもしれない。
早く退院したいとさんざん騒いだので、一時帰宅なんかさせたらそのまま戻ってこないかもしれないと懸念したのかもしれなかった。
何も言わなくても、先生の顔には「無理」と書いてあった。