上野のオババと花展
2007年の雑記帳より
日射しは強いが湿度が低くさわやかな5月、上野の科学博物館で開催されている世界の花を集めた特別展へ行った。
出がけに上野のオババに電話したら、ご主人の介護のことでケアマネージャーやヘルパーさんと会議中だったが、花展に行くと言ったら一緒に行きたそうな口振りだった。
私は展覧会は何によらず自分のペースで見て回りたいので、人と一緒に行くのは好きではない。
一緒に行っても出口で落ち合う約束をして、入口のところで別れてしまう。
だから、上野のオババにも、花展を見終わってから電話すると言って、誘わなかった。
上野のオババについては入院記録にさんざん書いたので、読んでくださった方はご存知だと思う。
九段坂病院で同室だった人だが、退院後の何回目かの診察のときに外来の待ち合い室でばったり会い、診察を終えて一緒に帰ったことがある。
ちょうどお昼時だったので、帰り道でドトールに寄って、サンドイッチとコーヒーをご馳走になった。
上野のオババも首の手術をしたのだが、私よりほんの少し後だったから、そのときはもうとっくに首のカラーが外れているはずなのに、まだカラーをはめていた。
骨はくっついたが、なんとなく不安だからと言う。
相変わらず変な怖い話を聞かされた。
曰く、寝ていたら喉のところに中から尖ったものが出てきて、触ったらズブズブと奥に埋まっていって、わからなくなってしまった。
痛かったけれど、今は何ともない。
また、首の後ろにツブツブと骨が出ていたのだが、それもどこかへ行ってしまった。
骨が首の中で宇宙遊泳しているように動いているらしい。などなど。
面白おかしく話すのだが、冗談ではなく、本当に起きた(本人が遭遇した)ことを言っているので気味が悪い。
後日上野のオババにランチのお礼状を出し、その後もたまにハガキをやりとりするようになった。
この日もせっかく上野に行くのだから声を掛けて、この前のランチのお返しにお茶でも一緒にしよう。そう思って出がけに電話したのだった。
花展を見終わり、帰りがけにショップをのぞいて、後で会うことになっている上野のオババへのお土産に、赤いミニバラの押し花を挟み込んだ透明な樹脂のコースターを買った。
それから約束通り電話を掛け、東京文化会館の2階のレストランで待ち合わせることにした。
九段坂病院の外来で会ってから2年ぶりの再会。
少し前にもらったハガキに、転んで怪我をしたと書いてあったが、血色もよく、頬もふっくらとして元気そうな上野のオババだった。
九段坂病院へは半身不髄で車椅子のご主人を施設に預けての入院だったが、退院してからご主人との2人暮らしに戻り、週2回ヘルパーさんに来てもらっている他は、家の切り盛りもご主人の世話も1人でしているらしい。
「切り盛りったって、ほとんど何もしないのよ」
とは言うが、日々の暮らしの大変さは想像できた。
首の骨が曲がってしまったのだって、それが原因なのだから。
転んだというのも、座って新聞を読むと寝てしまうので、新聞を取りに行って、玄関の階段のところで立ち読みすることにしていたそうだが、立って読んでいてふと気がついたら、階段から転げ落ちる途中だったとか。
読みながら眠ってしまったらしい。
打撲だけで骨はなんともなかったのは幸いだが、よほど疲れていたのだろう。
そういえば、入院してきたときも、昼夜問わずいびきをかいて眠りこけていたっけ。長年の睡眠不足を取り戻しているみたいだった。
加えて、睡眠時無呼吸症候群で、熟睡できていないせいもあったのではないだろうか。
夜中に隣のベッドで無呼吸になっていたので、看護師さんを呼んであげたエピソードを話すと、本人はそんなことがあったのをすっかり忘れていた。
「まぁ、私いびきをかいていたの? じゃあ、うるさかったわね。その節はご迷惑をお掛けしました」
などと、改まって言われて面喰らった。
「いびきはみんなかいていたけど、上野さんは無呼吸になるから怖かったの。それで看護師さんを呼んであげたんだけど、朝になって聞いたら上野さん、自分では覚えていなかったのよ。呼吸が止まっているのに、苦しいのもわからなかったって」
「そうなの? じゃあ、命の恩人ね」
いやいや、そんなことはないが、無呼吸は酸素が供給されないから脳や体にダメージがある。
気管が圧迫されて呼吸できない状態になるのを防止する、スプリントというものを装着して寝るといいそうだ。そう教えてあげた。
私は歯ぎしりがひどいので、やはりこのスプリントを作ってもらった。半年ほど使ってみて、これをはめて寝ると熟睡できるような気がしていた。
花展で買ってきた赤いミニバラのコースターを渡すと、上野のオババは何度も手に取って眺めた。
「涼しそうね。こうして立て掛けて飾っておこうかしら」
樹脂製のコースターは眺める分にはきれいだが、コップの水滴が底にまわってコップがくっついてしまうから、使うには不便かもしれない。買うときにはそこまで考えなかった。
帰り際、上野のオババはさっと会計票をつかんで席を立った。
「今日は私がご馳走するわ」
「あら、この前のお返しに、今日は私が」
「いいの。ここ(上野)は私の縄張りだから。あっちで待ってて」
こんな具合に、思いがけずまたご馳走になってしまった。
以前九段坂病院の外来から一緒に帰ったときも、地下鉄の駅で別々の電車に乗るはずだったのに、私が渋谷に出ると言うと、上野のオババも渋谷の東急に行くからとついてきた。
今回も駅まで行って別れるつもりが、地下鉄でひと駅だけ行くと言って、私と同じ電車に乗った。
「今日はお誘いくださってどうもありがとう。またこっちにいらっしゃるときは声を掛けてね」
電車を降りるときにそう言うと、上野のオババはいやに名残惜しそうに、降りたホームに立ったまま、私の乗った電車が走り出すまでずっとこっちを見ていた。
そういうの、苦手なんだけどなぁ。
私は降りたらさっさと歩いて行ってしまうのが好き。
入院中はベッドが隣りどうしで口喧嘩ばかりしていた上野のオババ。
それなのに、退院後もおつきあいが続いているのはこの人だけだ。
困難に屈しない強さは、持ち前のユーモアと朗らかな性格の故なのか、それとも、困難を乗り越えたからこその強さと明るさなのか。
上野のオババに会って、何だか元気をもらった気がする。(2007年5月)
この数年後、上野のオババと再び九段坂病院の外来で一緒になり、またしてもうかうかと帰りにランチをご馳走になってしまった。
今、手元には千鳥ヶ淵とその向こうの北の丸公園の緑を背景に、明るいグレーのキャスケットをかぶって小首をかしげ、微笑んでいる上野のオババの写真がある。
ランチの後で私が自分の携帯で写したものだ。
写真の中の嬉しそうな上野のオババを見ていると、もう一度会いたくなる。
会って、今度こそ私がお茶でもランチでもご馳走できたらいいのに。
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