
落田洋子さんと個展
初めて落田洋子さんの絵を見たのは「紅茶と海」という絵本だった。
1980年に発行された本で、ページをめくって最初の絵(ヘッダーの写真)を見たとき、城ヶ島の海を連想した。
母方の祖母は城ヶ島出身で、城ヶ島には親戚がいた。
20代の中頃、夏休みに城ヶ島の親戚の家に泊まりがけで遊びに行ったことがある。
京浜急行の三崎口駅からバスに乗り、城ヶ島に向かってバスが走り出したときの、バスの窓から眺めた風景を忘れることができない。
一面に畑が広がり、空には雲がいくつも浮かんでいた。
その畑の向こうには海があって、歩いて行ったら海が見えるのではないかと思った。
実際には、落田さんの絵に描かれているような場所は城ヶ島にはないのだが、その絵を見たとき、海から吹いてくる潮風の匂いが感じられるような気がした。
後に「風の祝祭」という大型の作品集を購入したら、落田さんは三浦半島に住んでいると書かれていた。
それであの絵を見たとき城ヶ島の海を連想したのが腑に落ちた。
あの絵にはそういう雰囲気が漂っていたから。
落田さんの絵はどれも幻想的で、「紅茶と海」のシュールなストーリーによく合っていた。
テーブルの上に猫がいて、その猫のそばに置かれた籠の中には、指でつまめるほど小さい猫が何匹も遊んでいたり、部屋の中に小さな木が何本も生えていたり、トキに似た嘴と翼の長い鳥が何羽も飛んでいたり、摩訶不思議な絵が多かった。

私はすっかり魅了されてしまい、それからどこかで落田さんの個展があると見に行くようになった。
だいぶ後になって、「夜猫ホテル」という絵本が出たので、これも買って読者カードに感想を書いて出した。
思いがけないことに、その読者カードを読んだ落田さん本人から絵ハガキが届いた。
本を出したパロル舎が落田さんに読者カードのコピーを送ったそうだ。
落田さんはその年(1998年)の5月に予定していた個展の追い込みで、どの絵もダメだと気落ちしていたとか。
そこへ私の感想が届き、落田さんの絵が好きだと書いてあるのを読んだら、すごく嬉しくなって、サァー、ガンバロウーと、また力が出てきたと書かれていた。
必ず案内状を出すからと、お礼の言葉が添えられていた。
銀座の77ギャラリーで1年おきぐらいに個展が開催されていたので、毎回見に行った。
落田さんの絵は、風景画のようでもあり、静物画のようでもあり、植物画のようでもあって、そのうちのどれか一つとは言えない、神秘的な、不思議な絵。
細部がとても丁寧に描かれているので、1枚1枚をじっくり眺めたい。さっと眺めて終わりにしてしまうのは勿体ない。
眺めていると、絵の中に吸い込まれてしまうような感覚……。
風にそよぐ草の光、森の木々の囁き、音のない世界の息遣い、吐息のような花の香り、手を浸したときの水の柔らかさ……そういったものが、感じられてくる。

行くとゲストブックに名前を書いてきた。
それで案内状も毎回送られてきたが、ときには落田さんが一言メッセージを書いてくれることもあった。
どういう経緯でメールアドレスを知るようになったか覚えていないが、もしかしたら私が自分のホームページのURLを書いておき、それを見てアクセスしてくれた落田さんが、ホームページのゲストブックから書き込みして、それが私にメールで届いたので(そういう設定にしておいたから)、落田さんに直接メールするようになったのかもしれない。
昔のメールを確認したら、最初に私がメールしたのは2011年11月で、個展の案内状を受け取ったお礼を書き、それに返信で落田さんが「今度は肺ですか……経過観察……検査……本当にやれやれですね」と書いているので、自分の病気のことを書き送ったのだと思う。
ホームページの入院記録も読んでくれていたかもしれない。
ただ、今使っているメールアドレス(Gmail)は途中で変えたものなので、それ以前の携帯のメルアドでもやり取りがあったかもしれない。
落田さんに初めて会ったのも、やはり銀座の77ギャラリーで2009年だった。
どんな話をしたか覚えていないが、記念に写真を撮らせてもらった。
77ギャラリー以外でも個展を開催するときは、都内であれば案内状をいただいた。
日本橋丸善のレフグラフ展、麻布で開いた銅版画展、京橋のギャルリー・ユマニテでの個展、渋谷のBunkamuraでは4人での展覧会なので個展ではないが、油彩や版画など何点もあった。
案内状とは別に、ギャラリーに行く予定があるときはメールで連絡していただいた。
私が今の会社に勤めてITの仕事をしていることから、パソコンのことで困ったことがあると、土日の休日に電話を掛けてくることがあった。
前にも何度か書いたように、土曜日はFMでピーター・バラカンの「ウィークエンド・サンシャイン」を聴きながら、のんびりと遅めの朝食をとるのだが、落田さんから電話がかかってくるのは10時ごろだった。
多分、休みの日でも10時過ぎれば起きているだろうと踏んでのことだと思う。
私は食べながら、ときには話に熱が入って朝食はそっちのけで話してしまった。
どんな内容だったか忘れたが、エラーの対処法や、外付けハードディスクに絵を保存することについての相談などだった。
それで、あるとき、落田さんの絵に「パスワードをお忘れなく」「サーバーが見つかりません」「仮想メモリ」なんていうタイトルが付いているのは、パソコンと格闘していた影響だろうと思った。
黒猫が深い青の水をたたえた池のある球体のガラスに乗っている絵を見ても、どうしてこれが「パスワードをお忘れなく」なのかと思う、謎のタイトルだった。
落田さんの絵自体が謎の絵なので、タイトルが謎でも違和感はない。

落田さんの絵はネットでも色々見つかるが、私がもらった個展の案内状の絵をいくつか載せておく。



ところで、うにゃさんも落田さんの絵のファンで、2017年の77ギャラリーの個展の前にメールをくれた。
落田さんの新作展の案内ハガキが届いたから行きたいが、私が行く予定があるなら一緒に行きたいと書かれていた。
うにゃさんと会うのは15年ぶりぐらいだったから、私も一緒に行きたいと返事した。
それで、11月8日に行くことにして、12時に直接ギャラリーで落ち合った。
私の方が先に着いて、絵を見ていたらうにゃさんがやって来た。
他にお客さんはいなかったので、2人でゆっくり絵を見て、少し座って話をしてから、ランチしに外へ出た。
来たときはあいにくの雨だったが、ギャラリーを出たら上がっていた。
ぶらぶら歩いて銀座インズへ行き、天丼を食べた。
卵の天ぷらが売りの店で、前にも行ったことがある。
このときもとてもおいしかった。
絵美子ちゃんと銀座においしい天丼の店があるから食べに行こうと言っていたのだが、おととしネットでチェックしたらなくなっていた。
それでゴールデンウィークに日本橋高島屋の天一に行ったのだった。
うにゃさんと会ったとき、ご主人がうにゃさんに落田さんの昔の絵を買ってくれたと言っていた。
家に帰ってからその絵の写真を撮って、翌日メールに添付で送ってくれた。
私は落田さんに、静岡の友達と一緒に絵を見に行ったとメールしたのだが、メールの返事はなかった。
何があったのか、11月の個展の案内を最後に落田さんのメールは途絶えてしまった。
それからもときどき77ギャラリーの落田さんのページをチェックしていたが、ずっと更新されないままだった。
つい最近、久しぶりに落田さんにメールしてみた。
2日ほどして返事が来て、やはり、2017年の77ギャラリーでの新作展の後、世の中から消えていたそうだ。
今は週1〜2回ジムに通って泳いだり筋トレ等をしているとか。
体調はかなり良くなって、少しづつ絵を描く時間が増えてきたと書かれていたので、どこか具合が悪かったのかもしれない。
絵は自分のペースで楽しんで描いていて、もう発表することは考えていないそうだ。
ファンとしてはとても残念だ。
でも、もしかしたら、そのうち気が変わるかもしれない。
お互いに体力的にも無理はできない年齢になったので、楽しく生きていけたらいいと思う。
私はまだ働くけれど、今の仕事が好きだから、仕事をするのは楽しい。
もう少しお給料が高ければもっといいんだけど。(と、いつもこんなことを書いている気がする)
※落田さんの絵を見てみたい人は、77ギャラリーのサイトに過去の個展の絵が載っている。
2007年アーカイブ
2009年アーカイブ
2011年アーカイブ
2017年アーカイブ