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父は歌謡曲、母はクラシック音楽

 うちでは父が歌謡曲を好きだったので、電気蓄音機で聴くレコードがたくさんあった。
 包装紙を貼った木の箱に、SP盤のレコードがカバーを外してむき出しのまま入れてあった。
 箱は父が大工さんの誰かに作らせたものだろう、中にレコードを4〜5枚ずつ立てて入れておけるような仕切りがついていた。
 引っ越しするたびに箱ごと持ち運んでいたが、せっかく78回転のSP盤も聴けるレコードプレーヤーを買ったのに、狭いマンションに移ってからステレオセット(ミニコンポ)を置く場所がなく、聴けないままで、このレコードは箱ごと不燃ゴミに出してしまった。5〜6年前のことだ。

 父のレコードには春日八郎の「お富さん」、三浦洸一の「弁天小僧」、菅原都々子の「月がとっても青いから」、三橋美智也の「哀愁列車」などがあった。
 今でも「お富さん」と「弁天小僧」は好きで、ときどきYouTubeで聴いている。
 歌が歌舞伎のストーリーになっていて面白い。
「弁天小僧」は「知らざぁ言って聞かせやしょう」などと、歌舞伎のセリフがそのまま歌詞になっている。

春日八郎「お富さん」


三浦洸一「弁天小僧」


 昔の歌謡曲は、男にだまされて捨てられたなんていう恨み節ではなく、趣のある歌が多かった。
 三橋美智也の「達者でナ」(大事に育てた馬が売れて、買い主のところに連れて行きながら馬に話し掛けている歌)や、春日八郎の「山の吊り橋」(ゆらゆら揺れる吊り橋を渡る狩人や村娘や炭焼きの様子を歌った歌)は、メロディーもいいし歌詞も味がある。
 2人とも歌がうまいので聞き惚れてしまう。
 何度聴いても飽きない。
 YouTubeで聴けるので、是非聴いてみてほしい。

三橋美智也「達者でナ」


春日八郎「山の吊り橋」


「明治一代女」や「侍ニッポン」「急げ幌馬車」などは、歌手の名前は覚えていないものでも、メロディーと断片的な歌詞は覚えている。
「明治一代女」は芸者の市丸が歌っていたが、残念ながらYouTubeには市丸の歌っているものはない。
 昭和初期には芸者が歌手になることは珍しくなかった。

 私が好きだったのは江利チエミの「アンナ」や「ジャンバラヤ」、エンリケ・ジョリンの「チャチャチャは素晴らしい」、アーサ・キットの「ショー・ジョー・ジ」といった洋楽だった。
 特に江利チエミの「アンナ」は好きで、今もときどき聴きたくなる。これもYouTubeにあるのが嬉しい。
 私はまだ小学校に上がる前に、レコードで聴いた英語やスペイン語の歌詞を耳コピして歌っていた。
 叔母に言わせると、私のおはこは「月がとっても青いから」で、子供のくせに大人のような作り声をして、菅原都々子のように声を震わせて歌っていたそうだ。

江利チエミ「アンナ」


菅原都々子「月がとっても青いから」


 レコードはその他に「十五夜お月さん」「かわいい魚屋さん」「ゆりかご」など、子供向けの童謡も何枚もあった。
 そういうのは母が買ってくれたのではないかと思う。

 母はシャンソンやタンゴやクラシック音楽が好きで、これはだいぶ後になって買ったのだと思うが、シューベルトの「冬の旅」とアルゼンチンタンゴのLPが残っている。
 私が中学生になると、ウィンナワルツのLPとベートーヴェンの「田園」を買ってくれた。
 私はシュトラウスの「ウィーンの森の物語」が1番好きだった。
 
 その頃はもうSP盤ではなくLPの時代になっていて、レコードは鉄の針ではなく先端にダイヤモンドがついた針で聴くものだったが、そんな時代の流れを知らず、せっかく買ったレコードを古い電気蓄音機で再生したので、鉄の針でレコード盤をダメにしてしまった。
 
 父がLP用のステレオを買ったので、それでやっとLP盤を聴けるようになったが、鉄の針を使ってしまったレコードを再生すると、最初の数分だけ音がかすれてまともに聞くことができなかった。
 今、2枚とも手元に残っていないのは、きっと私が捨ててしまったのだろう。

 高校生になると、母は河出書房から出た世界音楽全集を買ってくれた。
 これは黒い函に入った本で、写真入りで作曲家の紹介や解説などが載っており、各巻に2枚ずつ33回転の7インチ(17cm)レコードが付いていた。

 全30巻のうち、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、チャイコフスキー、ドヴォルザークを持っていたが、引っ越しするときにレコードだけ袋ごと取っておいて、本は処分してしまった。
 これも場所さえあったらとっておきたい本だった。

 このシリーズのショパンはサンソン・フランソワがピアノを演奏している。
 繰り返し聴いたせいか、サンソン・フランソワのピアノが一番耳馴染みがあって、ショパンを聴くならサンソン・フランソワがいいと思うようになった。

 ショパンの曲は何でも好きだが、中でも「別れの曲」と「革命」が特に好きだ。
「別れの曲」は初めて聴いたショパンの曲で、まだ小学6年か中学1年だった頃、母がこの曲を教えてくれた。
 レコードではなく、テレビ番組で流れていたのかもしれない。
 母もこの曲が好きだと言っていた。

「革命」は世界音楽全集のレコードで知った。
 本に書かれた解説によると、ロシアに支配されていたポーランドの人々が反乱を起こし、それが失敗したという知らせを異国のウィーンで聞いたショパンが、絶望のあまり作曲した曲だそうだ。
 ショパンの祖国への愛と激しい憤りの感情が込められていて、当時の私の感性に強く訴えるものがあった。

 私はシンフォニーよりピアノ曲が好きで、ベートーヴェンの「月光」は、週刊FM(FMの番組表と番組の内容などを紹介する雑誌)か何かの記事を手掛かりに、バックハウスのを買って聴いていた。

 ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」は、高校1年のとき、授業中に音楽の先生が自分の授業がなかったのだろう、音楽室のピアノを弾いている音が聞こえてきた。
 それでちゃんと聴きたいと思ってLPを買いに行った。
 当時人気があったヴァン・クライバーンのLPを買ったが、聴いてみたらアメリカ人らしく明るいラフマニノフになっていて(と、私は感じた)、重々しい北国の雰囲気がないように感じられた。

 母の教育のお陰もあって私もクラシック音楽が好きになり、高校生のときは声楽を習いに行っていた。
 コーラス部の先輩で、武蔵野音大受験を目指してピアノのレッスンに励んでいる人と仲良くなったせいもある。
 彼女に感化されて自分も音大に進みたいと思って声楽を習い始めたわけだが、音大に進むにはお金がかかり過ぎるので途中で辞めてしまった。
 コールユーブンゲンを終えて、旋律が綺麗なコンコーネの最初の方まで進んだところだった。
 声楽のレッスンを辞めるとき、先生にそのことを言うと、「それならそういう指導ができたのに」と残念がられた。


 学校行事で全校の生徒が体育館に集まる機会には、武蔵野音大を目指している先輩に伴奏してもらって、ベートーヴェンの「君を愛す」やシューベルトの「楽に寄す」といった歌曲、カンツォーネの「マリア・マリ」などを歌った。
 マイクは通さずに歌ったので、後ろの席の生徒たちには聞こえにくかったかもしれない。

「マリア・マリ」を歌っているとき、先輩のピアノがやけに速いので歌いにくかった。
 終わってから先輩に、歌が遅かったと言われた。
 遅いから速く歌えるように速く弾いていたのに、と。
 私の方はピアノが速くて歌いにくかった。
 歌がメインなのだから、歌い手のテンポに合わせてくれればいいのにと思ったが、相手が先輩なので強くは言えなかった。
 私は舞台度胸が良いが、先輩はきっと上がっていたのだろう。
 
 

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