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差し歯を折ったら弁償よ(脳腫瘍 6)

 金曜日の夜だったと思うが、横になってラジオを聞いていると、白衣を着た男の人が来て何やら自己紹介をした。名前が聞き取れなかったので、ラジオのイヤホーンをはずして聞き返すと、
「K……です」
 と名乗った。
「K……さん?」
「はい」

 実は麻酔科の先生だったのだが、そうとは認識しなかった。
 そのK……さんが手術時の麻酔について説明を始めてから、ようやく先生だとわかった。
 例によって、薬のアレルギーについて聞かれ、全身麻酔の危険性について説明され、よく読んでサインするようにと同意書を渡された。

 翌日になってもらった同意書を読んだら、「全身麻酔には人工呼吸が必要になるため、喉から気管に管を入れる」とあり、「差し歯があると、管を抜くときに折れることがある」と書かれていた。

 えっ、冗談じゃない。私は前歯が2本とも差し歯で、歯がなかったら食事ができない。
 退院してから歯医者に行って、新しく差し歯を作ってもらうには時間がかかる。
 差し歯は値段も高いから、2本作るのに何10万かかることか。
 差し歯を折るなんてとんでもない。

 そこで、同意書を取りに来た手術室付きの看護師さんにこう宣言した。
「差し歯を折られるなら麻酔は拒否します」
「差し歯があるんですか?」
「2本あるわよ」
「じゃあ、先生に折らないように気をつけてって言っておきます」
「よく言っておいてください。折ったら弁償してもらうからって」
「言っておきます」

 そうか、これだ、国分寺のお姉様が差し歯を折られたのは。

 ひっくり返すときに手術台に顔をぶつけたんじゃない。気管に入れた管を抜くときに起きた事故だったんだ。だから、管を留めるテープを顔に貼られていたんだ。


九段坂病院では私は点滴の全身麻酔だったから、気管に管も入れず、顔にテープを貼られることもなかったのだろう。その代わり、途中で麻酔が足りなくて目が覚めてしまったけれど。


 3月6日(日)、翌日の手術に備えて爪を切るのに、右手で爪切りを使おうとしたら指に力が入らなかった。
 前の週に爪を切ったときは大丈夫だったのに、これも脊髄空洞症の影響だろうか?

 一方、親指と人さし指の間の温痛覚障害は治ってきたらしく、入院する前からお湯の温度を感じるようになっていた。
 相変わらずペットボトルのふたは開けられないので、水を買ってきたら他の人にふたを開けてもらい、軽く閉めて冷蔵庫に入れていた。

 夜、寝る前にだれかから、「手術の前の晩は緊張して眠れないでしょう?」と聞かれたが、私はそんなことはなかった。
「臼井先生が風邪を引いたり、2日酔いになったりしませんように。先生がぐっすり眠って、明日の朝はすっきり目覚めて、元気に病院に来られますように」
 ベッドに入ってこう祈ると、何の心配もせず眠りについた。



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