中井先生(入院以前のこと 3)
2004年10月18日、T大医学部付属O病院から家に帰って友人たちにメールでいきさつを知らせると、みんな心配してお見舞いの返信をくれた。
夜になって、旧友のYさんから返信が届いているのをみつけた。
「実は私の父が、頸髄の腫瘍で去年から今年にかけて手術をうけ、今、小康状態です。
九段坂病院という市ヶ谷駅からまもない、靖国神社のすぐちかくにある総合病院で、そのみちにかけては 右に出るもののないといわれる先生を頼ってのことでした。
今、アンヌさんがかかっている先生が、医科歯科大系のお医者さんであるのなら、ぜひ紹介状を書いてもらって、MRIやその他の診断書などとともに、九段坂病院にいらっしゃるのをお勧めします。
目指す先生の名は、中井修先生といいます。過去幾多の例があるでしょうが、最も有名なのは、指揮者の岩城宏之です。公務員などが主に行くようですが、関係なくても受け付けてくれます。もちろん紹介状がなくてもよいのですが、中井先生に執刀してもらった方が、私はよいと思います。
我が家のホームドクターが医科歯科大出身なので、もしアンヌさんがよろしかったら、こちらまできていただいて、その五十嵐先生に紹介状を書いてもらうこともできます。早いほうがいいと思います。」
読んですぐ、時計も見ずにYさんに電話をかけた。後で見たら10時半だった。Yさんはテレビを見ているところだったが、すぐに五十嵐先生の連絡先を教えてくれて、自分からも先生に頼んでおくと言ってくれた。
翌日の夕方、五十嵐先生に電話した。とても感じのいい女の先生で、Yさんがあらかじめ連絡しておいてくれたので話は早かった。
2日後の10月20日、五十嵐先生が勤務するクリニックへ先生を訪ねた。O病院のM先生の話をすると、「まあ、無責任ね」と呆れて、すぐに九段坂病院の中井先生宛に紹介状を書いてくださった。
五十嵐先生にも、Yさんにも、心から感謝している。
夏以降、足の症状は加速度的に悪化していた。左足は痛くて歩くのもやっとだったし、右足は力が入らないので駅の階段がこわい。手すりにつかまらなくては階段を上ることも下りることもできない。家の中で歩くのさえ、壁に手を当てていなければふらついてしまう。
自転車に乗るのも、走り出しは不安定でこわかった。買い物に行って前のカゴに荷物を積んだら乗れなくなって、自転車をころがして歩いて帰ったこともある。それでも走り出してしまえば乗っていられるので、無謀にも11月初めまで自転車に乗っていた。
10月26日 九段坂病院、中井先生の外来を受診。
地下鉄九段下の駅から千鳥ガ淵に沿って続くなだらかな坂道をゆっくり登っていった。お堀を見下ろす桜並木、インド大使館の裏庭に面した小道、曲り角の落ち着いた喫茶店……。小雨に濡れた歩道に、色づいたばかりの紅葉が散り敷いているのも風情があり、こんなに足が痛くなければと恨めしい気分だった。
初対面の中井先生は気さくで、ゆったりとして、患者をホッとさせてくれる雰囲気があった。
持っていったMRIのコピーを見せると、小さい腫瘍はまだ放っておいてかまわないと言われた。O病院のM先生言うところの「手術して取るのが難しい腫瘍」は、「腫瘍でもなんでもない」とのこと。
「手と足のしびれは関係があるかもしれない。きっと上の方にもっといっぱいあるよ」
私はどこの病院にかかっても、1986年に喉の迷走神経にできた神経鞘腫を取ったことを問診票に書いている。この日、他の病院の先生たちがだれ1人思い付かなかったことを中井先生は指摘した。そして、改めて首のMRIを撮ることになった。
MRI検査は11月10日、結果を聞くための外来受診は18日に予約が取れた。
11月に入ると日ごとに足の状態が悪くなっていき、外出時にはとうとう杖をつくようになった。とても18日まで待てなかった。自分の状態は自分にしかわからない。自分の身を守るには声をあげるしかない。思い切って病院に電話を掛け、受診日を繰り上げてもらった。
11月10日(水)頚椎と胸椎のMRI検査。
11月11日(木)予約なしで結果を聞きに行く。
案の定、首に大きな腫瘍ができていた。右肩の痛みを10年以上も腱鞘炎だと思っていたのだ。これが元凶だった。
なるべく早く入院・手術ということで、病院からの連絡を待つことに。
11月12日(金)九段坂病院から連絡があり、翌週の火曜日(16日)に入院することになった。
入院期間は1カ月の予定。仕事を休むための準備やら、あちこちへの連絡やら、入院のための荷造りやら、することはたくさんあったが、1番頭が痛かったのは、入院中チビをどうしようかということだった。
チビは20歳近い老猫で、おとなしくて順応性はあるが、便秘症で、食べたものを吐く癖がある。やたらなところには預けられない。かかりつけの動物病院に問い合わせたら、ケージに入れっぱなしで、トイレもケージにタオルを敷いておくだけという話だった。他の動物病院やペットホテルも似たようなものだろう。ペットシッターを頼むとしても、1日1回来てもらうだけでは心配だ。まして、これから寒くなるのに、ヒーターなしで一晩中ホットカイロだけでは持つまい。
ネットで探してみたら、ペットシッター「メイちゃんのお家」をみつけた。ここはペットを預かってもくれるのだが、畳一帖分ぐらいの大きなケージにキャリーケースごと入れて、トイレの砂箱も置いてくれる。自宅で預かるので、日に何度も見回ってくれるという。長期の猫は、ときどきケージから出して遊んでくれたりもするとのこと。
ここにしよう。そう決めて電話すると、老猫は何があるかわからないので預かりたくないと断られそうになった。オーナーの永本さんに事情を話すと、それならと引き受けてくれて、15日の夜にチビを迎えに来てくれることになった。
15日の朝、起きて着替える間、いつもにようにチビは掛け布団の上に座って、私の手にじゃれつこうと待ち構えていた。着替える手を休めてかまってやると、歯のない口でかみついてくる。私は片手でチビと格闘する。
いっときこうして遊んでから、私は顔を洗いに行き、おとなしく待っているチビに猫缶とカリカリの朝ご飯をやる。毎朝の習慣でなんとも思わなかったが、幸せな時間だった。