シャープMZ-700とねむねこさん
シャープのMZ-7は私の思い違いだった。
カナダの友人のことで調べたいことがあり、過去の送信済みメールを読んでいたら、カナダとは全く関係ないねむねこさんに送ったメールを見つけた。
ねむねこさんは元プログラマーで、ブログに何匹もいる猫たちのことなどを書いている人だった。
私がコメントを残したことから知り合って、メールのやり取りもするようになった。
ねむねこさんからのメールも全部残っていたので、そのメールとねむねこさん宛の自分の送信済みメールを、新規に作成した「ねむねこさん」というフォルダに入れて、時系列に古い方から読んでみた。
ねむねこさんからの1番古いメールが2010年12月19日なので、それ以前はメールではなくブログのコメント欄でのお付き合いだったようだ。
その1番古いメールには、私が銀座ミキモトのクリスマスツリーの写真を撮ってきて、腕がイマイチで気が引けるけど使ってもらって構わないと、メール添付で送ったお礼が書かれていた。
それから何通かやり取りがあって、ねむねこさんが元プログラマーだったことから、私もプログラミングの勉強をしたことがあると書いていた。
ねむねこさんが一番最初に作ったゲームは、シャープのMZ-700というパソコンで動く「必殺仕事人ゲーム」だったそうだ。
それを読んで、私はこんな返事をしていた。
「シャープのMZ-700!
私も持っていました!
キーボードにCPUがついているだけ、みたいなのでしょう?
カセットテープでBASICを読み込んでから使うようになっていて、プロッタプリンタというボールペンの先のようなので幅の細いロール紙に印字していくのでしたよね?
ディスプレイもないので、私はテレビにつないで使っていました」
noteの記事で書いたことと同じ内容だが、パソコンの名前をはっきり「シャープのMZ-700」と書いている。
それなのに、記事を書いた今年6月には「MZ-7」だと思い込んでいたのだった!
実はねむねこさんにメールを書くずっと前、1990年代にもプログラミングを勉強したときのことを書いていた。
「ビジネススクール時代の話の補足」で、「25年ほど前に当時のことを思い出しながら書いた、自分のための回想録のようなものがみつかった」と書いたが、この回想録にも「MZ-700」と書いてあった。
それなのに、「MZ-700」はネットの情報だった疑いがあると思って、現在の自分の記憶の方を信じてしまったのだった。
考えてみたら、回想録は富士通オアシスのワープロ専用機で書いたものなので、インターネットが普及する前だったかもしれない。
iMacを買ってからもしばらくオアシスを使っていたから、インターネットが使えたかもしれないが、現在ほど情報量が多くなかったあの頃、果たして初期のパソコンに関する記事があったかどうか。
やはり、「MZ-7」は私の記憶違いだったのだ。
「セブン」と発音していた、などと確信を持って書いているのだから呆れてしまう。
ただ、ネット上の「MZ-700」はどれも、ビジュアルが私の買った「MZ-700」とは違っていたので、違う機種だと思ったのが「MZ-7」という名称の根拠でもあった。
それに、朝礼でこのことを話したとき、Mさんが即座に「パソコンの第一号ですよ。MZ-700はそれの製品版だから」と反応したので、なおさら「MZ-7」が正しい名称だと思い込んだのだった。
90年代に書いた回想録と、2011年にねむねこさんに宛てたメールの内容は、概ね一致している。
最初の説明会で150人ほど集まったこと、パソコンを買った人は10人ぐらいずつに分かれて月に1度スクーリングに出たこと、半年の間に20人ほどしか残らなかったこと、その中から3人だけ選ばれてインストラクターの仕事をしたことなど。
現在の記憶もほぼ一致している。
記事では「説明会に来た人は100人ほどいたように思う」と書いたが、本当は150人ぐらいいたと思っていたのを下方修正して書いた。
パソコンの値段が7万円というのも合っていた。
私の記憶力もそれほどひどくはないようだ。(と、少し安心)
間違っていたのはパソコンの名称だけだった。
さて、ねむねこさんについても書いておきたい。
メールしていた2011年1月の時点で49歳と書いてあったので、ねむねこさんは私より10歳下だ。
1980年に大学に入学して、シャープのMZ-700で動く「必殺仕事人ゲーム」を作ったのは大学4年のときだったことになる。
MZ-700はBASICを内部に持っていない代わりに、FORTRANという算術用の言語が動く、当時たぶん唯一のパソコンだったと書かれていたが、その辺りは私の理解の範疇を超えている。
ねむねこさんはテレビにつなぐと字がにじむので、安いグリーンモニターにつないで使っていたそうだ。
また、その頃のパソコンは漢字が出せなかったので、NECのPC-9801を買ってワープロソフトを自分で作ったそうだ。
それを雑誌に投稿したら掲載されて嬉しかった、と書いていた。それもまだ大学生の頃だ。
メールをやり取りしていたときには時系列で経歴が語られたわけではないのでピンと来なかったが、こうして整理してみるとかなりすごい人だ。
ねむねこさんにはプログラミングに対してのこだわりがあった。
「プログラムも、いってみればひとつの文章には違いないので、ずっと、『美しいプログラム』に拘ってきました」
うちの会社のAさんも優秀なプログラマーで、他の人が書いたプログラムを「美しくない」とよく言っていた。
Aさん曰く、「20年後も他の人が手を入れられなきゃいけない」。
美しくないプログラムは手を入れることができないそうだ。
だから自分で書きたいのだが、あれもこれも自分が抱えるわけにはいかないから、よその会社に委託することになる。
昔は社長が直接、委託先のプログラマーに「こういうふうに直して」と依頼して改修してもらっていた。
OSのバージョンアップなどの影響で、昔作ったアプリがうまく動かなくなることがある。
Aさんが改修しようとしても、元のソースコードが汚いから手が付けられない。
Aさんが最初から自分で作らなくてはダメだが、費用も時間もないので、暫定的な回避策をお客さんに伝えている。
美しいプログラムを書けるプログラマーはそう沢山いないと思う。
ねむねこさんはプログラマーを辞めて、2010年の年末にロードサービスの仕事を始めていたが、プログラマーを辞めてしまうのは勿体ないと思ってメールにもそう書いた。
ねむねこさんのメールにはプライベートなこともいろいろ書かれていた。
ネットで知り合っただけで顔も名前も住所も知らない相手に、いや、だからこそかもしれないが、かなり踏み込んだ内容のことが綴られていた。
ねむねこさんがプログラマーを辞めた理由は書かれていなかったが、40代も終わりに差し掛かり、プログラマーとして仕事を続けていく気持ちが薄れてきたのではないかと思う。
自分の人生はこれでいいのか、もっと別の生き方があるんじゃないかと、模索するような気持ちがあったかもしれない。
それと、プログラムを組む仕事のストレスが半端なかったから、そこから脱出したかったこともあるだろう。
お酒が飲めない代わりにバイクを20台も購入したそうだ。1度に20台ではなく、3〜4台ずつ買い替えて。
「でも、今思えば、いい時代だったと思います。」
何より、面白かったです。
WindowsやMacなどの時代になって、比較的簡単に見栄えの良いプログラムを作れるようになったけれど、それは、マイクロソフトやアップルの決めたレールの上をなぞっているようなものしか作れず、創意工夫の楽しみが無くなりました。
美しいプログラムという言葉なども、今は昔です」
ねむねこさんはロードサービスへの転職に当たって、それまでプログラマーしかしたことがなかったので、人とちゃんと会話できるかとても心配だったそうだ。
それでもこの仕事に応募したのは、人と話したいという欲求の方が強かったからで、運良く採用された。
ねむねこさんは、ロードサービスは人に感謝される仕事でやり甲斐があると書いていた。
2011年2月19日のメールを最後に、ねむねこさんからのメールは途絶えた。
私が20日に出したメールの返信はなかった。
何通か前のメールに、今の暮らしではブログの更新が難しいと書かれていたので、ロードサービスの仕事がハードで、メールする時間も気力もなくなったのかもしれない。
ねむねこさんは今どうしているだろう?
元気で楽しく仕事をしているといいなぁ。
と、ここで記事を終わらせるつもりだったが、金曜夜9時のNHKラジオ第一の番組、「高橋源一郎の飛ぶ教室」の聞き逃しをらじるらじるで聞いたら、面白い話をしていた。
池谷裕二の「夢を叶えるために脳はある」という本の話で、脳は間違ったことを現実のものと認識させるということだった。
誘導尋問して、やっていないことをやったと思い込ませることができる。
記憶は簡単に書き換わる。
過去の記憶が消えないと、どれが今でどれが過去なのかという区別ができなくなる。
だから、忘れるように脳はできている。
など、この本に書かれていることが紹介されていた。
私が「MZ-700」を「MZ-7」だと思い込んで、「セブンと発音していた」なんて確信して書いたのも、脳が記憶を書き換えていたのだろう。
9月13日に放送された「高橋源一郎の飛ぶ教室」は1週間聞き逃し配信される。
脳の話は9:17頃から。