叔父から贈られた指輪
気まま通信にも叔父と指輪のことを書いたが、noteにも書いておこう。
叔父は叔母(母の妹)の連れ合いで私と血のつながりはなかったが、血のつながった親族よりよっぽど私は良くしてもらった。
寺の住職だった叔父は、私の母と同じ腎臓病を患って透析を受けていたが、1994年の秋に突然亡くなってしまった。まだ57歳という若さで。
その日、夕方私の家に来ることになっていた従妹から、来られなくなったという電話を受け、
「お父様、ダメになっちゃったの」というのを聞いたとき、何のことかわからなかった。
透析に行くのが遅れて、また先生に叱られたのかしらと、受話器を握ったまま漠然と考えていた。
「ダメになっちゃったって、どうしたの?」
「お父様ね、死んじゃったの」
淡々とした従妹の言葉に、頭をガンと殴られたような衝撃を受けた。
信じられない気持ちと、人工透析を受けている人のあっけない死に方を母の死から学んで、「わかっていた」という諦念とが、心の中でないまぜになっていた。
お通夜の帰り道、お寺から駅へ向かう商店街を歩いていて、訃報を告げる張り紙に叔父の名前を見つけると、どっと涙が溢れてきた。
叔父は男ばかり5人兄弟で育ったので、姪である私を年の離れた妹のように感じていたのかもしれない。
ふた月に一度ぐらいの割でふらりと遊びに行っては、その度にお小遣いを頂戴した。
叔父は私が行くと、叔母に、「何かうまいものを食わせてやれよ」とか、「小遣いをやれよ」と言ったものだそうだ。
私が会社を辞めて自営業を始めてからは、経営が軌道に乗るまでの経済事情を察して、何かと口実を作っては金銭的に援助してくれた。
苦しい時期を凌ぐことができたのは、この叔父と叔母のお陰だと思っている。
これは大学の卒業祝いに叔父が贈ってくれた指輪。
正確には、指輪を買うという条件で現金をプレゼントされたので、母と一緒に宝石店を見て回り、何軒目かでようやく気に入ったものに巡り合えたのだった。
茶水晶ということだが、茶でもなく黒でもない、不思議な色合いの透明な雫のような石が、ゴールドの台に支えられている。
叔父はもっと可愛らしいデザインのカラフルな石の指輪を想定していたかもしれないが、私はジーンズにTシャツという格好が多かったので、そんな格好でも似合う指輪が良かった。
石が大きいので薬指より中指か人差し指にはめたいのだが、指が太くなってしまって、中指にも人差し指にもはまらない。
それに今はこんな指輪をはめて遊びに行くこともなくなった。
ただ、叔父の思い出と共に大切にしている。