日比谷線の銀座駅
脳外科の診察が終わって、帰りは来たときと違うルートで日比谷線の銀座に出た。
そこで電車を乗り換えたのだが、銀座は何度も行っているのに、日比谷線の銀座駅で乗り降りするのはずいぶん久しぶりだった。
あれは確か90年代の初め頃、銀座の日比谷線のホームで電車を待っていたら、「オバウエ!」と声が飛んできた。
「オバウエ」というのは私の中学3年のときのあだ名だった。
クラスで私が何か言おうとしているのに、みんながいつまでもペチャクチャ喋っているので、「お黙り!」と言った。
それで「オバウエ」というあだ名がつき、クラスの女子たちから「オバウエ」と呼ばるようになった。
「お黙り!」と言ったのは、美川憲一がオネエ言葉を使うようになるずっと前なので、彼の真似ではない。
日比谷線のホームで私を呼んだのはオフジだった。
女子の仲が良いクラスだったが、クラス会を1度もしたことがなかったので、中学卒業後ほぼ25年ぶりの再会だった。
オフジとは放課後の教室でビートルズの “All My Loving” を歌ったことがある。
彼女が持ってきたギターを弾きながら歌い始めたので、私が一緒に歌って、途中からオフジが上のパートを歌ってきれいにハモった。
今でも歌詞を全部覚えている。
日比谷線のホームで再会したとき、オフジはコピーライターをしていると言って名刺をくれた。
表参道に自分のオフィスを構えているという話だった。
彼女は流行に敏感でセンスもいいので成功していたのだろう。
そのときはほんの数分立ち話をしただけで別れてしまい、クラス会の相談をすれば良かったと、だいぶ後になって思った。
中学3年のときのクラスについては、楽しかったという記憶しかない。
男子のことはあまり覚えていないが、女子は修学旅行で京都に行ったとき、宿の自分たちの部屋でピラミッドをして遊んだ。
ピラミッドが成功したときと、崩れる瞬間を私が写真に撮った。
ホリッペが遠藤くんを好きだとか、オミちゃんは下着のシャツの上からブラジャーをしているとか、ケッチンが自分と同じ名字の子を「ブーブー」と呼んでいたら嫌がるので「ビーバー」に変えたとか、嵯峨美智子によく似た美人のミエコは笑うと奥歯の金歯が見えるのが艶消しだとか、そんなどうでもいいことを覚えている。
クラスの女子たちとは、公立高校の受験日に試験が終わってから日比谷公園に集まって、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見に行った。
少なくともクラスの女子の半数が来たのではないかと思う。
誰が来たか覚えていないが、2年のときから同じクラスで親友だったAさんと、やはり仲良しだったHさんも来たのではないだろうか。
私は同じ高校を受験したクリと一緒に日比谷公園へ行ったと思う。
集まった十数人でゾロゾロ有楽町の映画館に行った。
こういうことを思いついて音頭を取るのはいつも私で、この性格は今でも変わらない。
映画はとても面白くて感動的だった。
その後もテレビの映画番組で見たり、中で歌われる歌を全部覚えて歌ったり、今でも大好きな映画のひとつになっている。
※ヘッダーの写真はその後見に行った映画館で買ってきた映画のパンフレット。
裏側に昭和50年9月5日発行という記載があるので、大学を卒業してから見に行ったようだが、どの映画館だったか、1人で行ったのか誰かと一緒に行ったのか、まったく覚えていない。