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先生を脅した茅ヶ崎夫人(頚椎腫瘍 2)

 私の部屋は北向きの6人部屋で、窓からは隣のインド大使館の灰色の壁しか見えなかった。晴れた日でも窓の外には灰色の壁が広がっているので、どんより曇っているような気がした。

 私は入ってすぐ右側のベッドで、隣のベッドには腰のすべり症で手術を終えたばかりのSさんがいた。Sさんは40代で、愛想が良く、真っ先に声をかけて自己紹介してくれた。

 向いのベッドには89歳になる錦糸町のおばあちゃん。この人も腰の手術を終えて間もないときで、毎日吐き気がして物が食べられないと言っていた。

 錦糸町のおばあちゃんの隣のベッドには、数日後に国分寺のお姉様が帰ってくるのだが、入院初日にはだれもいなかった。

 奥の窓際のベッドには、左手にKさん、右手に茅ヶ崎夫人。
 Kさんは60代で、やはり腰のすべり症で入院していた。面倒見の良い人で、同室のメンバーの中では比較的軽症だったこともあって、みんなの世話を焼いていた。
 腰を手術した人は、しゃがんだり、膝を曲げて座ったりすることができない。靴下をはくのもロッカーの下の物を出すのも一苦労だし、物を落としても自分では拾えない。具合の悪い錦糸町のおばあちゃんが物を落とすたびに、Kさんがベッドから起きて拾いに行っていた。

 先の話になるが、私も手術の後は筋肉がいっそう衰えてしゃがめなくなった。腰の人と違ってしゃがんでいけないわけではなかったが、首を下に向けることを禁じられていたので、うつむいて落とした物を拾うこともできなかった。
 そこでどうしたかというと、腰の人を見習っておもちゃのマジックハンドを使っていた。病院にも何本か備え付けてあって借りることもできたし、売店で買うこともできた。介護用のものは値段が高いそうだが、カラフルなプラスチック製の子供のおもちゃなら安いし、軽くて充分用が足りる。術後の必需品だった。

 ついでだが、腰の人は靴下だけでなく、パンツをはくのも大変らしい。
 お風呂に入ったとき、脱衣場の椅子のそばに長い靴べらがあるのを不思議に思っていたら(患者はスリッパをはいているので)、国分寺のお姉様が使い途を教えてくれた。
 まず、片足にパンツを通し、靴べらをパンツのゴムに引っ掛けてぐーんと引っ張る。そこにもう一方の足を入れて、靴べらでパンツを引き上げる。痛くて腰を深く曲げられないし曲げてもいけないので、靴べらを腕の延長にしてパンツをはくのだそうだ。

 さて、話が飛んだが、窓際のベッドの茅ヶ崎夫人を紹介しておかなくてはならない。
 この人は内科医の奥様で70代。頚椎の狭搾症で錦糸町のおばあちゃんと同じ日に手術したというが、おばあちゃんよりずっと元気だった。
 サザエさんのワカメちゃんのように頭の後ろを刈り上げにされて、首には特殊なカラーをはめていた。

 このカラーはフィラデルフィアカラーといい、首の下からあごの下側まですっぽり覆って首を支え、後ろも襟首の下までたっぷりあって、はめると首を動かせないようにできている。

 茅ヶ崎夫人は狭搾症でも痛みがあったわけではなく、右手で箸が使えなくなったので手術に踏み切ったそうだ。
 手術が終わってみたら、指は動くようになったが右肩から腕にかけて強い痛みが出てしまい、手術前は痛くなかったのにと文句を言っていた。

「こんな後遺症があるなんて、手術は失敗したんじゃないの?」
 茅ヶ崎夫人は眉根を寄せて険悪な顔つきになる。

「この痛みはなんでしょう?」と若い主治医に聞いても、「五十肩じゃないですか?」といなされてしまった。
 茅ヶ崎夫人の険悪な表情は消えない。

 若い頃、医者の夫を手伝って看護師と同じように働いていた茅ヶ崎夫人は、耳で聞いた話ではなく経験を伴った知識がある。それで、若い主治医にこう言ってやった。
「先生、私は素人のようで素人じゃない。下手なことをすれば、みんなわかるんだよ」

 しかし、腕の痛みは次第に取れてきて、私が手術を終えて病室に戻ったときには、茅ヶ崎夫人はすっかり明るい顔になっていた。

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