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硬膜の水漏れ(自宅待機 2)

 退院した日の夕方、お隣りのおばさんからインスタントのお吸い物や味噌汁の差し入れがあった。
 翌日は荒巻鮭の切り身をいただいた。おいしい鮭で、スーパーで買った鮭は食べないチビが、おばさんにいただいた鮭は喜んで食べた。

 ご近所のNさんも心配して様子を見に来てくれた。
 私が1人でもなんとかやっているのを見て安心したらしく、お茶を飲みながら少しお喋りして帰っていった。
 こうして近所の人たちが気にかけてくれるのは心強い。

 京都の恭子さんからお見舞いの京菓子と、元旦にお茶に入れるという北野天満宮の干し梅(大福梅)が届いた。包みの中に手作りの美しい巾着も同封されていた。
 縫い物の得意な恭子さんは、これまでにもたびたびきれいな端切れを使って、便利な小物や京の香り漂う飾り物を作っては送ってくれた。
 恭子さんから手縫いの品が届くたびに、やはり和裁が好きだった母を思い出す。

 母は自分が仕立てた着物の端切れを大事にとっておき、歳をとって暇になったらつまみ細工を作るのだと楽しみにしていたが、50代で腎不全になり、その後リウマチも患って、暇ができたときには縫い物などできない身体になっていた。
 亡くなって15年近く経っていたが、不肖の娘は縫い物が苦手で、母がとっておいた端切れをみんな処分してしまった。
 恭子さんのようであったなら、役立てることもできただろうに。

 恭子さんが縫ってくれた小さな巾着は、虎の門病院に入院するとき、明美さんが贈ってくれた秀衡塗のスプーンを入れて持って行った。

 夜、旧友のYさんから電話があった。Yさんも1人暮らしの私を心配して電話してくれたのだった。

 Yさんには入院中洗濯に来てもらうだけではなく、洗濯が間に合わなくて足りなくなってしまったパジャマを借りたり、濡らして動かなくなってしまった腕時計の代わりに目覚まし時計を借りるなど、いろいろお世話になった。
「そのうち歳をとってYさんがどこか具合が悪くなったら、今度は私が面倒を見てあげるからね」
 などと、同い年のYさんより自分の方が、ずっと元気な老後を迎える気でいるのだからいい気なものだ。

 しばらくお喋りしているうちに、硬膜の水漏れの話になった。
「父も水漏れしていてね、それがだんだんひどくなって、首がパンパンに腫れてしまったの」
「それ、いつのこと?」
「去年のお正月だから、ちょうど1年前ね」

 Yさんのお父様も私と同じ頚椎の腫瘍の摘出手術をしている。このことは既にYさんのメールで紹介したが、一旦退院した後、水漏れが原因で首が腫れてしまったので、再び入院して水漏れを止める手術をしたと言うのだった。
「中井先生は『雨漏り』っておっしゃって、『こんなに雨漏りがひどい人は初めてだ』って」

 私も退院前に撮ったMRIで、以前より水漏れが増えているのが分かったから、この話は気になった。
 ただ、このときには硬膜と頚椎の関係や、どこにどう水が漏れているのかイメージが湧かなかった。MRIの写真は見せられているのだが、いまいちピンと来ない。
「明日N先生に電話しようと思っているから、もう1度聞いてみるわ」
 Yさんにそう言って電話を切った。

 翌30日、午前中は回診があるだろうからと思い、お昼過ぎに病院に電話してN先生につないでもらった。
 まず、退院してからの状況をざっと報告。ボランティアの人に掃除や買い物をしてもらったこと、近所の人が食べ物の差し入れをしてくれたこと、今朝は自分で拭き掃除をしたことなどを話した。

 ひと月半も拭き掃除をしていないので、テーブルや棚の上にはほこりが積もっていた。
 ボランティアのOさんに掃除してもらったが、拭き掃除は人のやり方は気に入らないから頼まなかった。たっぷりの水で雑巾をすすいで、何度も雑巾を取り替えて拭かないと気持ち悪い。

 N先生に言うと呆れられた。
 人のやり方が気に入らないなどと贅沢を言っている場合じゃないのに、と思われたに違いない。
 とにかく、自分で拭き掃除ができるぐらいだから問題はない。
 先生は安心したように、
「何かあったのかと思いましたよ」
 と言った。
「食事はどうしているんですか? お正月は大丈夫ですか?」
「大晦日にボランティアの人が買い物に来てくれることになっていますし、近くにコンビニがあるからお弁当を買いに行けばいいし、何とかなります」
 そんな話をしてから、いよいよ本題の水漏れの件を聞いてみた。

 N先生は説明を始めるととても丁寧で、細かいところまで詳しく話してくれる。これは入院中もそうだった。
 あいにくこのとき説明してもらったことをここにそのまま書き記すことはできない。
 聞いているときはとてもよくわかって納得したのだが、どんなふうに話してもらったか、人に説明できるようには覚えていないからだ。

 覚えているのは、切った硬膜の手前の方は縫えるが、向こう側は神経を触ってしまうといけないから縫うことができない。そのため切った硬膜がふんどしのように垂れ下がっていて、髄液が漏れてしまう。そんな内容だった。
 漏れた髄液は徐々に吸収されるので、それを待つしかないということだった。

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