2024年を振り返って
今年は変化の多い年だった。
まず、noteを始めたこと。
最初は昔ホームページで公開していた入院記録を、再度ネット上で公開するだけのつもりだった。
入院記録はもともと書いたものがあるので、それを読みやすく空白行を増やしたりなど、ほんのちょっと手直ししてアップすれば良かったが、そのうちIT関連の経歴も書こうという気になった。
私の歳では珍しい経験だろうから。
そうこうするうちに5月になり、昔からの友人たちと丸の内でランチしたのでそのことも書きたくなり、近所の人から朝顔の苗をもらったことも書きたくなり、書きたいことがだんだん増えてきた。
年々記憶が薄れてくるので、忘れないうちに昔のことも書いておきたい。
書きたいことは山ほどあるが、仕事もあるから時間がない。
毎日書いて投稿するのは難しいが、書くのは楽しいので、これからも続けて行こうと思っている。
2つ目は近所付き合いが今年になって急に増えたこと。
以前から斜向かいのご夫婦や上の階のMさんや下の階のCさんとは仲が良かったが、今年はなぜか話をする回数が去年までの何倍にも増えた。
去年までは年に2〜3度会う程度だったのに、やたら顔を合わせるようになった。もちろん楽しくていいのだが。
noteには全部は書いていないが、物をあげたりもらったり、何か教えてあげたり教えてもらったり、良いお付き合いができている。
Mさんには新年3日にうちに来てもらって、前から約束していたスマホのキーボードの設定を直してあげることになっている。
Android端末はフリック入力がデフォルトだが、PCと同じようにキーを打つとその字が出るようなキーボードに設定変更できる。
Mさんは自転車に乗らずに歩いてスーパーへ行くので、重い荷物が負担になっているそうだ。
私はパルシステムでお米やトイレットペーパーなど重いものを配達してもらっている。
お米は配達してもらえるだけじゃなく、値段もスーパーより安い。
私は魚沼産のコシヒカリを1週間おきに3キロずつ頼んでいるが、3キロで税込み2,517円だと言ったら、Mさんは安いと驚いていた。この間スーパーで買ったら3,000円以上したそうだ。
Mさんもパルシステムに頼みたくなったようで、いろいろ質問された。
今度来たときに注文する画面を見せて説明することにした。
3つ目は身体が変わったこと。
去年まで夏の暑い日でも汗をかかなかったのが、今年は汗をかくようになった。
去年は仕事の前に散歩に行き、炎天を歩いて帰ってきてもほんの少し汗ばむ程度だった。
10年ほど前から徐々に汗をかかなくなってきて、夏に会社から帰ってきてもシャワーを浴びたくなるほど汗をかかず、着て行ったシャツを翌日また着ていけるほどだった。
今年は太陽が昇ったら暑くて外には行かれなかった。
家の中ではエアコンをつけてもキャミソール1枚で過ごしていた。
秋になって涼しい日でも、少し動くと汗をかいて上に着ているものを脱いでいた。
新陳代謝が良くなったのだと思う。
汗をかくようになったのはいいが、肌荒れがひどくなった。
夏に唇の上が少し腫れて、痛くも痒くもないが気になるので皮膚科に行ったら、乾燥して荒れるのだと言われた。
リップクリームをつけても唇がパサパサするのも変だったので先生に聞くと、それも肌荒れで、今まで使っていたリップクリームが合わなくなったのだろうとのこと。
アズノールという塗り薬を処方された。
私は40過ぎてからスギとヒノキの花粉症になったが、イネ科の花粉には反応しなかった。
年に2度お墓の草むしりに行くと、年にもよるがお墓がネコジャラシ畑になっていることがある。
1時間ほどかけて草むしりをするのだが、クシャミも鼻水も出たことはない。
ところが、今年の夏からイネ科の花粉にも反応するようになった。
夜中に鼻が詰まって呼吸ができなくなり、耳鼻科に行って検査してもらったら花粉症だとわかった。
スギとヒノキの花粉症で2月から5月の連休までは窓も開けられず、洗濯物も外に干せない。
出掛けるときは必ずマスクをしている。
イネ科の花粉症になったら、花粉の飛び始める5月から秋までずっと花粉対策をしなくてはならず、気持ちのいい季節に窓も開けられず、真夏でもマスクをして歩かなくてはならない。
今から憂鬱だ。
変化ではないので番外編として、今年は思いがけず入院生活を送った。
執刀してくれた担当の先生が面白い人で、この先生と話したお陰でこれまでの人生を振り返ってみることになった。
12月21日に退院後2度目の診察を受け、手術したところはもう問題ないのでこれが最後と言われたが、私の後に待っている患者がいなかったので、この前の続きを話してきた。
虎の門病院を退院後、接続サポートのバイトをした話。
Windowsを使ったことがなかったので、電話が鳴ると右手で受話器を取って「機種は何をお使いですか?」と聞き、左手でマウスを操作しながら、ネットでその機種のコントロールパネルを調べて案内していた。
問い合わせの電話を受けて、接続できないとか、メールが受信できないとか、送信できないなどの原因を追求するのは楽しかった。
その会社で契約者向けに機関誌を出していたのだが、私が接続サポートの事例をエッセイ風に書いて載せたら、読者カードで「面白い」とか「もっと読みたい」といった感想が寄せられた。
それで、「サポートデスクの日々」というタイトルで連載するようになった。
そんなエッセイを書くのも楽しかった。
また、56歳のときに就職活動をしたが、IT企業にばかり応募したので、何度も履歴書を送り返された。
それでもめげずにハローワークに通って、運よく今の会社に採用されたことなど、noteの記事に書いたのと同じことをかいつまんで話した。
話し終わると、私の話が参考になったと言って、先生から「ありがとう」と言われた。
先生はまだ若いのに(私より20歳下)、もう仕事を辞めるつもりでいたそうだ。
腕のいい先生なのに、辞めるなんてもったいない。
でも、私が自分の仕事の話をして、今もまだ働いているし、この先もできれば80歳までは働きたいと言うのを聞いて、自分もまだ頑張ろうという気持ちになったとか。
帰り際に「ありがとうございました」と、もう一度お礼を言われた。
こんなふうに良いこともあれば悪いこともあったが、2024年は私にとって転換の年だった。
来年はどんな年になるだろう。
今年1年、記事を読んでくださった皆様、どうもありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
最後に、ここで書くのもなんだと思うが、どうしても書きたいので。
米国元大統領のジミー・カーター氏が亡くなった。100歳だったそうだ。
私がアメリカの大統領で好きなのはこの人とオバマ氏だが、それは2人ともキューバとの関係改善を目指したからだ。
キューバは1960年代からのアメリカの理不尽な経済封鎖によって苦しんでいる。
キューバとカストロ議長についても書きたいことの一つで、私はキューバという国が好きで、フィデル・カストロが好きなのだ。
彼が亡くなったときには残念で泣いた。
キューバ大使館にお悔やみに行きたかったが、時間や体力の都合で行かれなかった。
カーター氏はイスラエルのパレスチナ占領にも批判的で、イスラエルによってパレスチナ人の人権が奪われていることを憂慮していた。
正しい人たちが亡くなっていくのは寂しい。
ご冥福をお祈りします。