退院許可(頚椎腫瘍 31)
クリスマスに一時帰宅する前、N先生には28日に退院したいと伝えておいた。
先生からは、24日に帰宅してみて、その結果を見てから相談しようと言われたが、24日の夕方病院に戻ってから先生には会わなかった。
24日は金曜日で、週末は先生は休みだから、翌日も翌々日もN先生には会わなかった。
病室のメンバーはもとより、顔見知りの他の病室の人たちや、親しい看護師さんたちに聞かれるたびに、
「来週の火曜日に退院するの」
と言ってから、
「って、自分で勝手に決めているんだけどね。先生からはまだ正式に許可は出ていないの」
と、いちいち付け加えていた。
月曜日の朝、病室に来た私の担当の看護師さんにもそう言ったら、
「アンヌさん、明日退院って出てたよ」
と言う。
「あら、私なにも聞いていないけど。N先生、ナースステーションにいるかな」
急いで先生を探しにナースステーションへ行くと、中の丸テーブルのところに、先生がこちらに背中を向けて座っていた。
「N先生、私、明日退院してもいいですか?」
そう声を掛けてたずねると、先生はちらっと振り向いて、
「いいですよ。今、アンヌさんの書いているんですよ」
と言った。
なぁんだ、先に言ってくれればいいのに。でも、良かった! 明日は退院だ!
早速迎えのボランティアを頼むために、福祉センターのFさんに電話を掛けた。
折り返しFさんから、一時帰宅の送り迎えをしてくれたOさんが迎えに来てくれると連絡が入った。
チビを預けている「メイちゃんのお家」の永本さんにも電話した。
入院した日から手術の前日まで、チビの様子を聞くために、「メイちゃんのお家」には毎日欠かさず電話を掛けていた。
チビには自分の寝箱にしている段ボール箱も一緒に預けて、ケージの中に入れてもらっていた。
最初の日は、
「箱の奥に小さくなっていて、何度も『大丈夫?』って声を掛けてあげるんですけど、怖がっているんですよ」
と言うので、
「名前を呼んでやってください」
と頼んだ。
電話を切った後、ふと思いついて、もう1度掛け直した。
チビは捨てられていたのを拾った猫で、私が見つけたときはまだ生後1年足らずだった。
よほど怖い経験をしたらしく、叱っているのではないのに大声でものを言うとおびえて逃げる。
うちで飼うようになって10年以上たっても、未だにそのトラウマが残っていることを思い出したのだった。
案の定、永本さんが小さな声で名前を呼ぶようにしたら、なついて甘えるようになるのに時間はかからなかったらしい。
動物は気心を許した人でなければ、じゃれて手にかみついたりしないものだが、チビは「メイちゃんのお家」のだれにでもなついて、みんなの手にかみついているという話だった。
「チビちゃん、かわいいんですよ。歯のない口でカミカミしてくれるの。うちのスタッフもみんなチビちゃんのことが好きで、チビちゃんのお世話をするのに競争なんですよ」
永本さんにそう言われてすっかり安心し、手術の後起きられない間電話できなくても心配しなかった。
明日退院することが決まったと言うと、永本さんは喜んでくれたが、チビを返すのを残念がって、
「チビちゃん、うちの子にしたいくらいです」
と言ってくれた。
チビは私がいなくても、自分の人徳ならぬ猫徳で、幸せに暮らしていたのだと思う。
この日の午後、最後の診察があり、N先生が病室に呼びに来た。
先生についてエレベーターで5階に上がり、最初の日に診察を受けた部屋へ向かった。
部屋に入る前に、階段を上ってみるように言われたので、ゆっくり上ってみせた。
リハビリでも階段の上り下りをしたばかりだったが、脚の筋力がだいぶついてきたおかげで難無く上れた。
「ああ、いいですねぇ」
先生はニコニコと嬉しそうな顔になった。
「じゃあ、下りてきてください」
階段を下りるのはちょっと不安なところもある。
首のカラーが邪魔なのと、下を向けないせいで、自分の足元が見えないからだ。
でも、手すりにつかまって、注意しながらゆっくり下りれば大丈夫。
「いいですねぇ」
N先生はすっかり上機嫌になっている。
検査は入院初日とほとんど同じだが、片足で立つように言われて、右足1本で立てたのには感激した。
夏の初めのことだが、着替えをするのにジーンズをはこうと左足を上げたら転んでしまった。
夏の間毎日片足で立つ練習をしていたが、右足では1秒たりとも立っていられなかった。
それもまた運動不足のせいだと言われていたのだ。
「そう言われたら信じてしまいますよねぇ」
と、N先生は優しい。
私が入院初日の検査のときに自分で言ったことを覚えていなくて、
「私、そんなこと言ってました? ぜんぜん覚えてない。老化現象だわ」
と言ったときも、
「1カ月半も前に言ったことなんか、普通は忘れてしまいますよ」
とフォローしてくれた。
この病院の整形外科の先生たちはみんな優しい。
N先生も優しいのだが、特に退院前日のこの日と翌日は、いつもにも増して優しく思いやりがあるように感じた。
先生が病室に来て、私が頼んだ湿布や内服薬を出しておいたと言い、他にもひと言ふた言何か言って帰った後、三崎口夫人が「優しい先生ねぇ」とわざわざ私に言いに来たほどだ。
国分寺のお姉様がいみじくも言ったように、自分の手がけた患者が回復して、元気に退院できるまでになったのがよほど嬉しかったのだろう。
とりわけ私は世話の焼ける患者だったから。
手術の前日に高熱を出すわ、術後はものを食べないわ、何日もベッドから起きられないわで、先生は大変だったに違いない。
この日はレントゲンとMRIの検査もあった。
夕方、N先生がMRIの結果を知らせに来たが、退院を目前に浮き立つ気持ちに冷水を浴びせられるような内容だった。
首の腫瘍を取り出すときに硬膜を切ったところから髄液が漏れていることは前にも書いたが、その水漏れの量が増えていると言うのだった。
あんなにせっせと水を飲んでいたのに、水漏れが収まるどころか増えていたなんて。
気落ちしながら、
「じゃあ、もっと水を飲まなくちゃ」
と言うと、
「関係ないです」
と、あっさり否定された。
関係ない? 水を飲んでも髄液は増えないってこと?
水を飲み過ぎて頻尿になり、夜中に何度も目が覚めて、眠くてたまらないのを我慢してカラーをはめ、起きるたびに襲いかかる頭痛に耐えてトイレに通ったのは無駄だったのか。
過ぎてしまったことは仕方ないけれど、あのとき回診に来た別の先生に聞かずに、N先生に聞いていれば良かった。
頭痛の原因はまだだれにもわからず、私は髄液が漏れて中の圧力が変わるせいで頭痛がするのだろうと思っていたから、水漏れが増えているというのは、この先も当分頭痛が続くことを意味しており、気が滅入った。