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母と京都・奈良旅行

 大学を卒業した翌年の秋、母と京都、奈良に旅行した。
 私は中学の修学旅行で行ったことがあったが、母は1度も京都にも奈良にも行ったことがなかった。
 母は結婚前は出版社に勤めていて、そこで仲の良かった人が結婚して京都に住んでいたので、その人に会いに行きたいと言った。
 私は京都でレーザリアムというものができたので、それを見に行きたかった。

 そんなわけで出掛けたのだが、前の晩にテレビの深夜映画でカトリーヌ・ドヌーヴの「昼顔」を見ていたので眠かった。
 新幹線で外の景色を眺めながらも、「昼顔」のことが頭から離れなかった。

 四条河原町のホテルに泊まり、町を歩いて京都らしい雰囲気の店を冷やかし、高級そうな京風料理の店で漆塗りの箱に入ったお弁当を食べ、新京極で土産物屋を覗いた。

 哲学の道を歩いて銀閣寺に行こうとしたが、疏水沿いの道はどこまで行ってもなかなか銀閣寺に着かなくて、本当にこの道でいいのか不安になった。
 写真が残っているので銀閣寺には行けたことがわかるが、他のお寺で撮った写真がないから、私が修学旅行で気に入った清水寺や三十三間堂には行かなかったのかもしれない。
 地図を見ると、銀閣寺より清水寺や三十三間堂の方が近くて行きやすそうだが。

 旅のスケジュールはまったく覚えていないが、目的のひとつである母の親友の児島さんには会いに行った。
 児島さんというのは旧姓で、母は結婚後も旧姓で呼んでいたので、私は本名を知っていたのに忘れてしまって旧姓だけ覚えている。
 2人は出版社時代はお洒落だったらしく、流行の最先端のスーツを着て仲良く写っている写真がアルバムに貼ってあった。

 児島さんとは、母はたまに葉書のやり取りをしていたらしいが、私は初対面だった。
 児島さんは元は東京の人なのに、「よぉ言わんわぁ」などと言って、すっかり京都の人になっていた。

 京都に着いた直後だったか、昼間の数時間を別々に行動することにして、私はレーザリアムに行った。
 プラネタリウムのようなドームの中で、レーザー光線を照射して壁や天井に映し、レーザー光線の動きに合わせて音楽が流れるという、当時としては斬新なものだった。
 東京より京都の方が進んでいると思った。

 レーザリアムを検索したら、詳細をレポートしているサイトがあった。


 ホテルに泊まった翌朝、新京極の喫茶店でモーニングサービスを頼んだら、温泉卵が付いてきた。
 メニューに温泉卵とあるのを見て、私は(たぶん母も)殻が真っ黒くなった固茹での卵だと思った。
 子供の頃、家族で箱根へ温泉旅行に行ったとき、大涌谷で地面から湧いてくるお湯で卵を茹でて売っていた。
 硫黄の臭いのする温泉で、卵の殻は真っ黒になっていた。

 これが私たちの知っている温泉卵だった。

 ところが、モーニングセットで出てきたのは違っていた。
 器に割り入れられた卵は柔らかいプリンのようで、半透明に固まった白身の中に白身よりもう少し火の通った黄身があり、タレをかけてスプーンですくって食べるようになっていた。
 卵の固まり始める温度は黄身より白身の方が低い。その温度差を利用して作られているのだった。
 こんなおいしい卵があるとは知らなかった私たちは、温泉卵をお土産に買って帰った。

 旅の記録がないのでうろ覚えだが、京都で2泊して、奈良を回って帰ってきたのではないかと思う。

 奈良では奈良公園の鹿を見て、猿沢の池を見て、他に何を見たか覚えていない。大仏は見ただろうか?


 写真で私がヘアバンドにしているのは、「自由が丘で見つけた素敵なもの」で紹介したネッカチーフ。

 スカートは前年の1975年に「ハイファッション」という雑誌に載っていたのが気に入ったので、そのページに書いてある販売元の東京ブラウスに電話して、どこで買えるか聞いてみた。
 新宿の伊勢丹だったか、どこだったか、デパートに卸しているという返事だったので、わざわざ買いに行った。
 スナップ写真は色が褪せているが、スクラップブックに雑誌の切り抜きを貼ってあり、こちらは現物と同じ色合いに写っている。
 iPadでネット上の画像を見ると実物より落ち着いた色合いになっているが、実際はもう少し鮮やかでブルーが効いている。


 たくさんの鹿に会えて嬉しそうな母。


 このとき母は50歳。生意気な顔をしている私より母の方が可愛い。

 小学校時代も中学校時代も、授業参観日に母が来ると嬉しくて、授業中後ろを振り返ってばかりいた。
 教室の後ろにずらっと並んだ母親たちの中で、私の母が1番美人だった。

 友達に、
「◯◯(私の名字)さんのお母さん、きれいね」
 と言われると、
「そうでしょう?」
 と、得意になった。

 家に帰って母に言うと、
「いやねぇ、そんなこと言って」
 と、恥ずかしがった。
 ほめられて気恥ずかしいのもあっただろうし、自分の親をほめられて謙遜せずに得意になっている娘を恥じる気持ちもあったと思う。

 大人になって客観的に見ることができるようになり、母は優しくて人好きのする顔をしているが、美人というわけではないとわかった。
 けれども、子供の頃は母は美人だと思っていた。
 自分の親が美人だと思えるのは、子供にとっても親にとっても幸せなことだ。


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