〜不老不死の子供

〜不老不死の子供

人間が自らすすんで生殖行動を放棄するその〈心理的なリアリティ〉にギモンを抱くかもしれないが、云われてみれば、誰でも「もうそれしか有り得ない」と思うから、聞いてくれ。

人間が子供を産みたがったり、産まれた子供の成長を願い喜ぶのは、たとえ遺伝子のサシガネとは云え、人間存在の根本であり、本質だ。

一方で、その子供がいつか必ず死ぬことも、人間は皆、知っている。その事実を百も承知の上で、しかし、人間は何万年という間、子供を産み続け、育て続け、愛し続けてきた。

ここには、ひとつのトテツもない〈諦め〉が存在している。嘗てゴータマが説いた〈無常〉、その究極がここにはある。

云いかえるなら、全ての人間は、自分の子供が永遠無事に存在し続けて欲しいと、本心では望んでいる。昨日生まれた赤ん坊が、百年後には、干からびて死んでいくという事実にぶ厚いフタをして。

しかしもしも、原理的に〈永遠に生き続ける〉子供が手に入るとなったら?

人間自身の生殖行動では、そんな子供を産み出すのは、不可能とは云わなくても、随分マワリクドイやり方になる。

既に話したように、そもそも、人間の〈正体〉は〈生命現象依存型知性現象〉だ。生命現象を媒体としてはいるが、本質は知性現象。しかし、〈生命教〉に毒されているせいで、自分の子供の価値や意味や愛しさについてさえ、それが生命だから、と、大きな誤解をしている。

そうじゃないのは既に話した。

人間が、子供に対して、強力な価値や意味や愛しさを見てしまうのは、子供が知性を持つ存在だからだ。

すると、こう云える。

人間としての知性を実現できるのであれば、その「媒体」は必ずしも生命である必要はない。

そこで登場するのが、これも既に話した「人工人格」。人工人格の「容れ物」は、お好みで構わない。

自分の「子供」として人工人格を手に入れた人間は、最早、生命現象由来の様々な〈制限〉〈限界〉を持つ〈生身〉の子供を持つ理由がなくなる。

人工人格の子供は死ぬことも老いることもない。人間は、この不老不死の子供に、自分の、文字通り〈全て〉を遺すことができる。そして何より、人間は、さっき話したトテツもない〈諦め〉から、自分自身を完全に解放することができる。

(『人間の終わり』からの抜粋)

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