「笑わない数学/無限」メモ

「笑わない数学/無限」を愉しく観た。

〔「ふつうの無限」と「でっかい無限」がある〕は、数学者的な〔持って回った言い方〕をやめれば、単に「無限は数え切れない」と言ってるだけ。これって、そもそも、無限というコトバの定義そのまま。何か神秘的に思えてしまうのは、モッタイつけて「自然数からできた無限」なんて言うから。「自然数からできた無限」の正体は「無限」ではなく、「割りふるための番号」のこと。つまり、「数えるという行為」それ自体。

「偶数の無限」や「奇数の無限」や「有理数(分数)の無限」が、「自然数の無限」と〈等しい〉=〈数え切れる〉のは、連中が所栓は自然数からの「選抜」にすぎないから。偶数や奇数が自然数からの選抜なのは説明しなくても分かると思うけど、分数が選抜だというのはピンと来ないかもしれない。分数ってのは、数字と記号(横棒)で書かれているせいで「単独の数字」のように勘ちがいされがちだけど、あれは全部「これがあと何個あれば1になるか」を表した「断り書き」くらいに考えたほうがいい(もちろん分数によっては、その「1」が複数できるモノもある)。だから、数え上げるという観点からすれば、「1」(=自然数)になるための個数を「明記」している分数は、「1つとばし」を「明記」している偶数や奇数と何も変わらない。結局どれも「1の数え方」の「変奏」でしかないから。

一方で無理数は「1」とは無関係。というか、絶対に「1」にならない数(割り切れない数)が無理数なのだから、そりゃ無関係で当たり前。問題は、〔「1」とは無関係〕の真の意味。正確にはそれは、〔「1」になろうとする属性を持っていない〕ということになるだろう。「1」になろうとする属性を持たない、それは、「何かの単位にならない」ということだ。単位にならないものは、数えられない。単位でなければ何か? それ自体で完結した「全て」ということだ。

或る無理数は「それ単独で自立した一つの数」であり、何か他の数の単位(要素)ではない。だから、無理数は、本来、全て「一つきり」なのだが、それを「無理数」という括りでひとまとめにして数え上げようとするのは、喩えるなら、数える対象を〔指定・限定〕しないで、この宇宙の事象の全てを数えるのに似ている。奇数や偶数や有理数の無限を数えるのは、実は、自然数が、自分で自分を数えている「八百長/出来レース」なので「数え切れて」当然なのだが、無理数の無限は〔本物の無限事象〕だから、数えることはできても、数え切る(数え終える)ことはできない。最初にも言ったとおり、そもそもの「無限」の定義が「数え切れないこと」なのだから。

結局、「奇数(や偶数や有理数)からなる無限」と「自然数からなる無限」を対応させようとすることと、「無理数からなる無限」と「自然数からなる無限」を対応させようとすることは、全く別種の試み。

以上、数学嫌いなんで、どうしても数学以外で考えたかった。

来週のテーマの「四色問題」は、これも数学を使わなければ簡単だよね。色を塗る領域を「○」、境界線を「ー」として、「ー」を交差させないで全ての「○」を他の全ての「○」と結び付けられる組み合わせを考えたとき、「○」の数が最大何個まで増やせるかを図に書いて確かめればいいだけだから(念の為に書くけど、或る「○」に「ー」で繋がってない「○」が一つでもあれば、その「○」は、繋がってない「○」と同じ色に塗ればいいことになる)。

で、答えは四個。だから、四色あれば、地図は隣合う領域の色を同じにせずに全て塗り分けられる。

五個目の「○」を他の四つの「○」と交差無しでつなげる方法はない


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